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「三角寛と人世坐の記憶 そして文芸坐へ」展が開催中

エチカ池袋ギャラリーで、戦後の復興に向かう池袋の文化発信拠点を紹介

報道発表日:平成25年3月11日

問い合わせ:文化デザイン課 電話03-3980-3177

3月27日(水曜日)まで、東京メトロ副都心線池袋駅構内にあるEchika(エチカ)池袋ギャラリーにおいて、「三角寛と人世坐の記憶 そして文芸坐へ」展が開催されている。
三角 寛(みすみ かん、1903-1971)は、1935(昭和10)年から亡くなるまで約35年にわたって豊島区雑司が谷に居住した小説家であり映画館経営者。新聞記者時代(1926年~1933年)を経て小説家として独立し、一躍流行作家となった。戦後は作家活動の一線から退き、1948(昭和23)年に池袋東口に映画館「人世坐」、1956(昭和31)年には後に名画座の老舗として知られる映画館「文芸坐」を開設している。今回は、三角 寛のご子息の三浦大四郎(みうらだいしろう)氏の編集による『人世坐三十五年史』を手掛かりに、人世坐から文芸坐へと引き継がれてきた歴史を紹介している。
展示は、映画のポスターや人世坐や文芸坐のパネルで、戦後、復興に向かう池袋の文化発信拠点を紹介している。その展示作品にもそれぞれ物語がある。たとえば、「日本の夜と霧」のポスター(複製)。これは、1960年10月に封切られた大島渚(おおしまなぎさ)監督の作品が、不入りを理由にわずか4日間で打ち切られて以降お蔵入りとなるが、三角寛の尽力により再上映が実現された。展示されているポスターは、人世坐が製作した当時のものを複製したものだ。当時を知る方には懐かしく、若い方には新しい再発見があるのではないか。
担当者は「三角寛のこだわりが結実した人世坐は、単なる映画館に留まらず、文士劇や活弁大会の開催を通して、今で言う複合文化施設のような役割を担っていました。現在も新文芸坐では定期的にスクリーン前を高座に見立てて落語会を開催していますが、文化創造都市の一つの原点がここにあるのかもしれません」と話している。なお、新文芸坐では3月16日から27日まで大島渚追悼上映会が開催される。

日時

平成25年3月1日(金曜日)~27日(水曜日)

場所

Echika池袋ギャラリー(東京メトロ副都心線池袋駅構内)

主催

豊島区

補足事項

「Echika(エチカ)池袋ギャラリー」
駅におけるゆとりと潤いのある文化的空間の創造、さらには文化芸術の薫る街を目指す地元地域の発展に寄与するために開設された。管理、運営は公益財団法人メトロ文化財団。

「人世坐の誕生」
1948(昭和23)年2月17日、池袋東口に純日本式建築の映画館「人世坐」が旗揚げされた。永井龍男(ながいたつお)、井伏鱒二(いぶせますじ)、大下宇陀児(おおしたうだる)などの文人が株主に名を連ねる文士経営の映画館として、芝居の上演や活弁(かつべん)大会など、戦後の池袋における文化発信拠点の機能を担っていた。系列館に板橋の「弁天坐」、池袋東口の「文芸坐」がある。1951(昭和26)年に三浦大四郎氏が経営に参加して以降、名画座としての地位を確立。多くの映画ファンに支えられながらも、1968(昭和43)年7月、各家庭に普及したテレビの人気にはかなわず、惜しまれながら閉館した。

「文芸坐から新文芸坐へ」
1956(昭和31)年3月に開館した文芸坐は、こだわりの名画座として親しまれていたが、残念ながら1997年3月に閉館。しかし往時の情熱は受け継がれ、2000年にはビルのテナントの一つとして現在の新文芸坐がオープン。今でも、劇場スタッフによる独自のプログラムづくり、スクリーン前を高座に見立てた落語会の開催など、こだわりの映画館としてにぎわっている。(新文芸坐・東池袋1-43-5)

写真

展示風景1

展示風景2

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更新日:2015年2月25日