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区内中学生「税の作文」 豊島区長賞

日本史における税の歴史 豊島区立明豊中学校三年 伊藤 友人 さん

 「税」という文字がつく言葉は数多くあるが、どういうわけかマスメディアで頻繁に取り上げられる表現には血税、重税、脱税、税金の無駄遣いなど、マイナスのイメージを連想させるものが少なくないように感じる。しかしながら、税金は、我々が生活していくうえで必要な各種の公的サービスを安心して受けるために、国民みんなで出し合っている町内会費的な、いわば「国民会費」とも言い表されるようなお金である。

 学校でもらった資料を読んで、税金の種類や使い道などはわかったので、ぼくは日本における税の歴史について調べてみた。

 日本の税制が明確にされたのは大化の改新以降だが、最古の記録として「女王卑弥呼が支配する邪馬台国には建物や倉庫があって、集めた税を納めていた」と、魏志倭人伝の中に記述されている。三世紀という早い時代だったことにぼくは驚いたのだが、原始時代から税に似た制度があったと、考古学的には考えられているそうだ。税が人々の暮らしにとって必要だという考え方が古代にも存在したことも新しい発見だった。

 律令国家において公地公民的な考え方が定められ、租・庸・調という全国統一の税制が初めて整備された。奈良時代には、墾田永年私財法によって国所有の土地を私有地化することが認められるものの、制度内容としての大きな変化はまだない。そして鎌倉時代の貨幣の流通を経て、室町時代には年貢が税の中心になっていく。この頃は商工業が著しく発展し、時代の流れと共に通行税、棟別銭など新しい税も徴収されるようになった。豊臣秀吉の全国統一後には、太閤検地により年貢の基準となる石高が定められた。年貢は江戸時代にも引き継がれるが、さらに税の考え方が広まって、生活の様々なものにもかけられるようになっていく。

 収穫物によってではなくお金で納税するという現代の税制に近づいたのは、明治時代の地租改正による。その後戦争が相次いだ大日本帝国時代には、増税の繰り返しで国民の生活は圧迫されたが、その一方で、制度面的には現在の税制により近い形になっていった。戦後の日本国憲法制定により、納税は国民の三大義務となり、平成に入ると消費税も導入され、現在はその引き上げの途上にあることは、ニュースでもよく取り上げられている。

 税の歴史をみていくと、それがそのまま日本の歴史と重なるということは面白い発見だった。これは、人々の暮らしが税というものと密接にかかわっていたからで、そのため、税制度そのものも時代のニーズに合わせて変化し続けてきたからではないだろうか。その根底にあるのは、いつの時代でも、税金は国民の安定した生活のために存在するという考え方なのだと改めて思った。

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更新日:2017年1月18日