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こどもの再発見─豊島の児童文化運動と新学校─

  • 展示期間1991年8月1日から9月29日
  • 図録価格1,100円

今回の特別展「こどもの再発見」では、大正から昭和初期にかけての豊島区地域が、児童文化運動と自由教育運動の発祥地であり、中心地であったことを広く紹介するとともに、これらの運動を担った人々の活動を通して、今後の豊島区の児童文化・教育のありかたを考える素材を提供したいと思います。

いまから約70年前、大正デモクラシーとよばれる時代は、それまでのおとなの尺度から子どもをみるのではなく、子どもを一個の人格としてとらえ、子どもの個性や独自の精神世界に注目しようとした、子どもの発見の時代でした。この時代に童話作家・文学者・画家などによる、子どものための文化運動が豊島区地域に誕生しています。

その先駆的・中心的役割を果たしたのが、1918年(大正7年)鈴木三重吉によって創刊された『赤い鳥』でした。『赤い鳥』は、子どもの視点に立った新しい童話・童謡・童画を創作・提唱し、数多くの童話童謡雑誌を誕生させた点で、日本の近代児童文化の革新をおこなったといえます。

またその一方、『赤い鳥』誌上で展開された子ども自身の創作による綴方・自由詩・自由画作品の紹介と指導は、全国の小学校の若い教師たちを巻き込んだ運動へと発展し、当時の学校教育界に少なからぬ影響をあたえました。

そしてこれとほぼ同時期に明治以来の公教育を批判して、形式主義と画一主義からの開放、児童の自発性と創造性の育成を教育目的に掲げた新学校が、豊島区地域に誕生しています。ここでは、羽仁もと子の自由学園と『教育の世紀』社の実験校である池袋児童の村小学校を取り上げましたが、豊島の新学校が自然の中で子ども中心の自由な教育を実践し、多くの成果をあげたことは、日本の近代教育史上特筆すべきことです。

この展示会が、子どもはもとよりおとなや学校教師の方々にとって、こどもの再発見の場となれば幸いです。(展覧会チラシより)

図録表紙

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更新日:2018年3月14日