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豊島区文化財ニュース 第1号

雑司ヶ谷鬼子母神堂が重要文化財に!

 2016年7月25日、雑司ヶ谷鬼子母神堂が国の重要文化鬼子母神堂
財(有形文化財(建造物))に指定されました。
 豊島区では、豊島長崎の富士塚(有形民俗文化財)、自由学園明日館(有形文化財(建造物))に続く3件目の重要文化財です。

雑司ヶ谷鬼子母神堂の歴史

 鬼子母神は安産・子育ての神であるとともに、法華経の守護神として日蓮宗寺院で祀られています。
 雑司ヶ谷の鬼子母神堂は、永禄4年(1561)に鬼子母神像が発見されたことに始まります。『新編武蔵風土記稿』(文化・文政期〈1804~1829〉に編纂された武蔵国の地誌)などによれば、清土(現・清土鬼子母神堂)で発見されたということです。この鬼子母神像は、はじめは法明寺の塔頭東陽坊(後に大行院)に納められていましたが、天正6年(1578)に雑司ヶ谷村の人びとにより堂が建てられると、こちらに安置されました。寛文4年(1664)に広島藩主浅野光晟の正室・自昌院の寄進によって本殿が建立され、元禄13年(1700)に相の間と拝殿が増築されました。
 雑司ヶ谷鬼子母神堂は、江戸の名所のひとつとして、武士から庶民まで信仰を集めて大いに興隆しました。

重要文化財としての評価

 鬼子母神堂は、本殿・相の間(幣殿)・拝殿が連結した構造で、いわゆる権現造の堂です。
寛文4年(1664)に建てられた本殿は、広島藩の職人によってつくられました。妻飾りの細部に、同時期の安芸地方の社寺建築との共通点が見られます。
 本殿の前面にある相の間(幣殿)と拝殿は、元禄13年(1700)に増築されました。本殿とは意匠がかなり異なり、護国寺(文京区大塚5-40-1)の本堂(元禄10年建立)に近いものになっています。
拝殿は正面一間を吹き放しとし、豊かな装飾で彩られた華やかな礼拝空間となっていますが、梁間を京間三間にしていること、側廻り組物を変えていること、錣葺の屋根にしたことなどは、寛文8年の建築規制令への対処を示しています。
 さらに正保3年に宮殿がつくられましたが、こちらは禅宗様を基調としたつくりになっており、同じく禅宗様の須弥壇も同時期のものとみられます。
 このように、鬼子母神堂は建立年代が明らかで、江戸時代の大名家による寺社造営の状況や、江戸幕府による建築規制令への対処などをよく示しています。これらの点から、意匠的に優秀で歴史的価値が高いと評価されました。
 
 なお、本殿背面の妙見堂(天明8年造立、明治期に修復)も、鬼子母神堂と密接な関連があることから、附指定されました。

関連する文化財

  • 大門ケヤキ並木(都指定)
  • 鬼子母神堂のイチョウ(都指定)
  • 三人静白拍子図・大森彦七図(都指定)
  • 雑司が谷鬼子母神の御会式(区指定)

 

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更新日:2016年11月9日