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江戸時代の豊島区は、7つの村に分かれていました。人口はわずか数千人だったと考えられます。
(雑司が谷鬼子母神)
この頃、にぎわいを見せていたのが雑司が谷にある鬼子母神堂(きしもじんどう)です。江戸中からたくさんの参拝客(さんぱいきゃく)が訪(おとず)れ、門前(もんぜん)の茶店(ちゃみせ)や料亭(りょうてい)はとても繁盛(はんじょう)していました。
鬼子母神は安産(あんざん)、子育ての神様として知られています。しかし、神様になる前は他人の子どもを食べるこわい鬼(おに)でした。当然のことですが、子どもはもちろんお父さんやお母さんからも恐れられていました。あまりの恐(おそ)ろしさに見かねたお釈迦様(しゃかさま)は、鬼子母神の子どもを隠(かく)してしまいました。その時、鬼子母神は子どもがいなくなってしまうことの不安や悲しさ、そして今まで自分が行ってきたことが大きな間違(まちが)いだったことを知り、それからは子どもの守り神になりました。境内(けいだい)に入ると額(がく)のなかに書かれている鬼の字を見てみましょう。いつも目にする鬼の字と違って、字の頭にある「角(ツノ)」が無いことが分かります。これは鬼子母神が、もう鬼ではなく神様になったので鬼の字についている「角(ツノ)」をとったものとなっています。。
豊島区に古くから伝わる玩具(がんぐ)「すすきみみずく」が雑司が谷鬼子母神のお土産として知られるようになったのも、この頃のことです。下の絵は、お店ですすきみみずくが売られていた当時の様子(ようす)を描いたものです。中央にある「さんだわら」は「べんけい」とも呼ばれており、麦を束(たば)ねたものにすすきみみずくを差し込んで売られていました。
『江戸名所図会』より
江戸時代からにぎわいを見せていた雑司が谷のまち。今のまちのすがたも見てみよう!
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