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豊島区の歴史をみてみよう

戦後から現代へ

戦後から平成へイメージ

戦争により豊島区のまちはほとんどが焼け野原になってしまいました。家やお店といった建物だけでなく、毎日の食べものでさえ手に入らない人たちもいました。

 

そのようななかで池袋にはたくさんの人が集まってきました。池袋駅を中心として、色々な場所から鉄道に乗って集まってきたのです。そして、ヤミ市と呼ばれるお店が池袋駅の周辺に立ち並ぶようになりました。「ヤミ市」という名前が付いたのは、当時、自由に売り買いをしてはいけないものをお店に並べていたことが理由です。値段もとても高かったようですが、それでもよく売れました。

ヤミ市に並ぶお店のほとんどが飲食店(いんしょくてん)だったそうですが、このヤミ市でまちに集まった人たちは元気を取り戻し、復興(ふっこう)に向けて歩き始めました。

池袋ヤミ市模型
池袋ヤミ市模型(もけい)

高度成長期(こうどせいちょうき)を経(へ)て、豊島区全体がますますにぎわっていくなか、一つのシンボルとなるのが、サンシャイン60です。高さが239.7メートルもあるこのビルは、建てられたときは日本で一番高い建物でした。

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(池袋のまち)

そして、終戦(しゅうせん)から数えて、2023年で78年が経(た)ちました。豊島区は住みたいまちとしてえらんでもらえるまちづくりを進めています。

戦後、何も無いところから始まった豊島区はいまや日本を代表するまちへと成長しました。池袋のまちはいま!
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更新日:2022年1月6日