「長崎獅子舞」 豊島区指定無形文化財
更新日 平成21年5月15日
長崎獅子舞(ながさきししまい)
江戸時代から伝承されてきた民俗芸能です

(注釈)平成4年6月、豊島区教育委員会発行「長崎獅子舞の伝承」を参照して作成しています。
真夏のような晴天に恵まれた平成21年5月10日(日曜日)、長崎神社の祭礼が行なわれ、区指定無形文化財の長崎獅子舞が勇壮に奉納されました。
今年も地元の方々に混じり、城西大学付属中・高等学校の獅子舞研究会のメンバーが獅子舞に参加しました。

神社の境内には、大勢の見物客やカメラ愛好者が訪れて大変なにぎわい。獅子舞の終了後には、子どもたちと獅子のふれあいや記念撮影も行なわれました。見慣れぬ獅子に恐る恐る手を触れる子どもの姿も。また、子ども以上に顔を輝かせた親や祖父母の笑顔がこぼれていました。
長崎獅子舞の歴史
長崎獅子舞は、旧長崎村の人々によって伝承されてきた民俗芸能です。江戸時代末の弘化4(1847)年9月には行なわれていたということが古文書によって伝承されています。また、これをさかのぼる元禄時代に、長崎村の伊佐角兵衛が獅子頭を彫刻し、奉納したのが始めともいわれています。
昭和44年からは、毎年5月の第二日曜日に長崎神社の祭礼で演じられています。
獅子舞の役割

・太夫獅子(たゆうじし)、仲獅子(なかじし)、女獅子(めじし)…各獅子とも御殿袴(ごてんばかま)を着用し、腹に太鼓をつけ、撥(ばち)2本を持つ。
・花笠(はながさ、4台)…緋袴を着用し、ササラを持つ。
ほかに、笛方(ふえかた)、采配者(さいはいしゃ)、世話役(せわやく)、高張提灯(たかはりちょうちん、尾張公の三葉葵(みつばあいお)の紋入り)の役割があります。
晴れ舞台

漆黒の鳥の羽を垂らした獅子頭をかぶり、腹に太鼓をつけた3匹の獅子が、ササラをもつ4人の花笠とともに舞う形は“一人立ち三頭獅子舞”と呼ばれる様式で、かつては関東一円に広く見られたものです。
祭りの朝、神社の拝殿内で神事が行なわれている時、拝殿の前では「フンゴミ(踏込み)」という舞が奉納され、続いて「道行(村まわり)」になります。自分達が住む所に、悪い病気や不吉なものが入ってこないようにという意味を込めて獅子は踊り、地域の幸せと五穀豊穣を願うものとして行なわれてきました。行列が辻にさしかかると、獅子は、花笠が持つ「ササラ」と笛の音に合わせて「フンゴミ」を舞い、道順を巡り終えると神社に戻ります。

午後になると、境内の「モガリ」という作られた聖地の中で舞が演じられます。
現在、主に演じられるのは、「平舞」「笹舞」「花舞」です。獅子の足の運び方、頭の振り方等々、動作のひとつひとつに意味があり、「モガリ」という三尺四方の領域の中でひとつの物語が演じられるのです。
ひとつの舞は、約30分から1時間にも及びます。重い獅子頭をつけ、激しい動作と長時間舞うことは体力のいるものです。
後継者の育成に向けて
長崎獅子舞は、その伝承に困難な時期があり、何回かの中断と復活とを繰り返してきました。近年では、昭和39(1964)年を最後に中断し、昭和46(1971)年に復活しています。その後、後継者難に直面し、地域だけでなく学校が獅子舞の保存と継承に協力することなり、昭和53(1978)年、旧真和中学校に獅子舞クラブが誕生しました。その卒業生が、獅子舞の中心メンバーとして活躍しています。
現在は、獅子連(並木鍵一会長)のメンバー宅などで、毎週木曜日に練習をしていますが、「まだまだ後継者不足。もっと若い人に参加してほしい」と獅子連のかたは語っています。
城西大学付属中・高等学校の「獅子舞研究会」(熊谷良次郎顧問、今陽童顧問)

氏子連(うじこれん)の声掛けで、同校に獅子舞同好会を作ったのは平成12(2000)年。現在は獅子舞研究部となり、今年は13人の生徒が在籍しています。部員たちは、長崎神社の祭礼、学園祭、伝統芸能inとしまへの出場などにむけて稽古に励んでいます。
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