元プロ野球選手が語る 「あきらめない!! がん治療も2アウトから」
更新日 平成21年12月3日
「第21回ふくし健康まつり」 横山忠夫講演会報道発表日:平成21年12月2日
問い合わせ:地域保健課 電話03-3987-4660
来る6日、元プロ野球選手横山忠夫氏による講演会「“がん”から生還した元巨人軍投手が語る あきらめない!!がん治療も2アウトから」が、区民センター文化ホールで開催される。
障害者週間に合わせ、世代や障害の有無を超えた区民参加と交流のために、平成元年から開催されている「ふくしまつり」に、“健康”という内容を充実させた「ふくし健康まつり」の中での開催だ。がんと戦った横山忠夫氏の体験談から、がん検診受診率の向上や、がんという病気に対する理解を深めることを目的としている。
横山忠夫さんは、北海道網走生まれ、元読売巨人軍の投手として活躍した。現在は池袋の西口に「立山」という手打ちうどんのお店を開いている。
横山さんの幼少時代、網走では野球をする人も少なく、小学校にはチームすらなかった。中学で初めて野球部に入ったが、監督は野球経験がない先生。教えてくれる人がだれ一人いない中、青年団の野球を見ながら投球フォームを覚えたそうだ。網走南ヶ丘高校に入学し野球部に入るが、またも監督は野球未経験者。球が速いという理由で、入部当初からエースの座を手に入れた。1967年高校3年生の夏、北北海道大会で甲子園出場の栄冠を手にした。網走から甲子園出場は史上初奇跡的快挙と騒がれた。夢にみた甲子園では、1回戦敗退。これで野球ともお別れだと思っていた矢先、立教大学の推薦入学の話が舞い込んできた。大学では、自己流ピッチングが認められ、3年の春にはエースになった。大学での活躍が当時巨人の川上哲治監督に認められ、ドラフト1位の指名を受け、プロの世界へと入っていった。プロでの成績は通算12勝15敗。28歳のときにユニフォームを脱ぐことになった。
引退後は、野球と無縁の仕事をと、バットに代えて麺棒を手に、うどん屋への道を選んだ。堀内投手に連れられ食べに行ったうどん屋がきっかけだ。有楽町の店に弟子入りをし、銀座に店がオープンすると店長を任されるようになった。修業期間を積んで、池袋の母校立教大学に近い繁華街に、「立山」を開業することになった。「くじけて横にはならないぞ」と決意を込めたうどん屋「立山」の開業。お店も大盛況で第2の人生の成功を射止めた。
野球人生から新たな道を進みだし順風満帆だった横山さんに、がんが見つかったのは今から10年前。当時48歳。それまで健康には自信があり、がん検診を受けていなかったが、体調を崩し病院を受診すると大腸に大きながんが見つかった。3年後には、新たに肝臓にもがんが見つかり、2度目の手術を受けたが7か月後には再発した。2003年には、「放置すれば余命3か月から半年」とまで宣告された。しかし、「立山」の名に込めた思いを貫くため、この土壇場の宣告から、横山さんのがんとの戦いという新しい挑戦が始まった。
今回の講演では、「あきらめない!!がん治療も2アウトから」と、がんとの戦いで勝利した横山さんと奥さんの最強バッテリーの話が繰り広げられる。
講演会 “がん”から生還した元巨人軍投手が語る
- 日時:12月6日(日曜日) 午後2時~3時30分
- 場所:区民センター6階 文化ホール(東池袋1-20-10)
- 参加費:無料
- 定員:先着200名(申し込み不要)
- 主催:豊島区
横山忠夫氏
1950年生まれ、北海道網走出身。網走南ヶ丘高校、立教大学を経て、1971年秋ドラフト1位で読売巨人軍に投手として入団。77年に自由契約となった後、ロッテオリオンズへテスト入団し、1シーズン在籍後にマウンドを降りた。(通算成績は12勝15敗)プロ野球引退後は、有楽町の手打ちうどん店で修業を積み、現在は池袋西口で手打ちうどん「立山」のオーナー。
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