1-1 豊島区の市街地形成の経緯
更新日 平成20年8月6日
現在の豊島区は、次のような地域ごとに異なる形成過程を持つ市街地の組み合わせによってかたちづくられています。
- 土地区画整理によって形成された市街地
池袋や大塚などのJR駅周辺を中心にした地域は、戦災復興事業と都市改造事業の土地区画整理により都市基盤整備が行われた市街地です。 - 建築線の面的指定によって形成された市街地
環状6号線の西側や東池袋地区を中心にした地域は、一団の土地にわたる建築線の計画的指定によって都市基盤が形成された市街地です。建築線による都市基盤整備の水準はそれほど高いものではありませんが、ある程度計画的な配慮に基づいて行われた面的整備として評価できます。
なお、建築線制度は、大正8年[1919年]に制定された旧都市計画法と市街地建築物法により導入されましたが、昭和25年[1950年]の建築基準法制定と同時に廃止されました。 - 耕地整理によって形成された市街地
おおむね山手線の西側の広い範囲の地域は、耕地整理事業による基盤整備が行われた市街地です。
耕地整理は、本来農地の生産性を向上させるための土地整備手法でしたが、山手線の外側のような都市に隣接する農地では近い将来の市街化が予想されたため、始めから宅地化を目的とした耕地整理が実施されたところも多くありました。
耕地整理により整備された土地は、建物が立ち並ぶには街区が大きすぎたり、道路幅員の段階構成が単調で6メートル以上の道路も少ないなど、高度の市街化に対しては問題もありましたが、豊島区がまだ(注釈)北豊島郡の4町村で、「郊外地」と呼ばれていた大正から昭和の初期の時代に広い範囲で計画的に土地の整備が実行されたことには大きな意味があります。 - 都市計画的な面的整備が行われずに形成された市街地
明治期の田畑の区画割りや水路の跡を、現在の道路網にそのまま残している地域で、計画的な基盤整備が行われないままに形成された市街地です。これが、豊島区の市街地のうちで最も大きな面積を占め、木造住宅が密集し、人口密度も非常に高い地域が含まれています。
(注釈)北豊島郡の4町村(大正8年[1919年]旧都市計画法制定当時)
巣鴨町、西巣鴨町(大正7年[1918年]に巣鴨村から西巣鴨町へ)、高田村(大正9年[1920年]高田町へ)、長崎村(大正15年[1926年]長崎町へ)
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