===== P2-3 ===== 写真と絵で知る まちの今昔 1932(昭和7)年10月1日に豊島区が誕生して今年で90周年を迎えます。 目覚ましい変貌と発展を遂げている豊島区。今と昔を比べながら、地域の特色や移り変わりを紹介します。 [問い合わせ]郷土資料館電話3980−2351 2 池袋駅東口 1903(明治36)年の池袋駅開業以来、常に豊島区の”顔”として発展。1945(昭和20)年4月13日の城北大空襲により区域の約7割が焼失しましたが、戦後復興期後の高度経済成長期には、相次ぐデパートの開店により都内有数の繁華街として発展します。1978(昭和53)年には東京拘置所の跡地にサンシャインシティが誕生。2015(平成27)年には日出小学校跡地に区役所新庁舎がオープンしました。2020(令和2)年には、宇役所旧庁舎および豊島公会堂跡地が豊島区立芸術文化劇場(東京建物Brilla HALL)を中心とするHareza池袋に生まれ変わるなど、文化の一大拠点として新たなにぎわいを創出しています。 [キャプション] 現グリーン大通りとなる道。都電・バス・トロリーバスなどが、当時の足でした ▼「池袋駅東口」高山良策 1947(昭和22)年 油彩、カンヴァス ▼1963(昭和38)年…池袋駅東口のにぎわい(松井一彦氏提供) ▼1949(昭和24)年、旧高田第四国民学校跡に開校した日出小学校 (豊島区立日出小学校創立30周年記念『ひので』1981年より) ▼現在の区役所本庁舎 ▼グリーン大通りとIKEBUS 3 池袋駅西口 1909(明治42)年に豊島師範学校(現在の東京学芸大学)が開校し、1918(大正7)年には立教大学が移転してきます。また自由学園が1921(大正10)年に創立するなど文教地区としての性格をもつようになります。1930年代以降、この地には自由や芸術を愛する若者たちが集まり、彼らの交流によって醸(かも)し出された空気感を、詩人の小熊秀雄は「池袋モンパルナス」と表現しました。1990(平成2)年に東京芸術劇場が開設され、2019(令和元)年にはGLOBAL RING THEATRE(池袋西口公園野外劇場)が誕生するなど、東口とともに芸術文化のまちとして発展し続けています。 [キャプション] 正面奥が豊島師範学校(現在の東京学芸大学) ▼「池袋駅前豊島師範通り」春日部たすく 1928(昭和3)年 水彩、紙 ▼昭和初期の池袋駅西口付近 (『写真でみる豊島区50年のあゆみ』1982年より) ▼生まれ変わった池袋西口公園と隣接する東京芸術劇場  (C)Nacasa&Partners Inc 4 巣鴨(地蔵通り商店街) 巣鴨地蔵通りは、江戸時代には五街道のひとつ中山道であり、江戸の出入口にあたる巣鴨眞性寺の境内には江戸六地蔵の一つが配置され、往来する人馬の安全を見守ってきました。また巣鴨は染井(駒込)と並ぶ園芸の里として、江戸時代後期の菊見ブームの先駆けとなり、多くの見物客でにぎわいました。 とげぬき地蔵(高岩寺)は、もともと上野駅のそばにありましたが、この地域の発展に伴い、1891(明治24)年に巣鴨の地へ移転しました。1985(昭和60)年頃からは“おばあちゃんの原宿”として、全国的な人気を集めています。 [キャプション] ▼1951(昭和26)年…巣鴨地蔵通りのにぎわい(株式会社豊島新聞社提供) ▼現在にもにぎわいがつながる(木崎禎一氏提供) 5 駒込(ソメイヨシノのふるさと) 桜開花の標準木となっているソメイヨシノ(区の木)は、駒込駅西側一帯のかつて染井と呼ばれた地域に集住していた植木屋が全国に向けて売り出したものとされています。 [キャプション] ▼江戸名勝図会「染井」二代歌川広重画 1864(元治元)年 ▼JR駒込駅北口そばにあるソメイヨシノ発祥の地の記念碑 (染井吉野桜記念公園内) 6 目白(千登世橋) 目白という地名は、1885(明治18)年に開業した目白駅にちなんでつけられ、1932(昭和7)年10月1日の区制施行時に初めて登場しました。千登世橋は、目白通りと明治通りが立体交差する地点に架かり、橋名は当時の地名(高田町大字高田千登世)に由来します。1933(昭和8)年に竣工(しゅんこう)した東京で最初の立体交差橋として、東京都の著名橋に指定されています。 [キャプション] ▼1933(昭和8)年…明治通りから見た千登世橋 ▼今も多くの車が行き交う ▼「薫風」山高 登 1990 (平成2)年 木版、紙 7 長崎(千川通り) この地域は、江戸近郊農村として、大根やナスなどの野菜の特産地でした。関東大震災以降、宅地化が進み、1930〜40年代には、谷端川近くのさくらが丘パルテノンをはじめ、多くのアトリエ付貸家群が建てられ、若い芸術家たちが居住して創作活動に打ち込みました。また、かつてこの地域の西側には、千川上水が流れ、長崎地域に広がる農地の灌漑(かんがい)用水としても使われていました。千川上水の堤には桜が植えられ、桜の名所として近隣からの花見客でにぎわいました。1960年代になると、都市化の進行に伴い千川上水は暗渠(あんきょ)となりましたが、今なお千川通りとしてその名をとどめています。 [キャプション] 歩道部分にはかつて千川上水の清流がありました ▼1950(昭和25)年頃 …長崎5丁目付近の千川上水と桜並木 (桐本国次氏提供) ▼現在の長崎5丁目付近 ▼「千川の桜」 春日部たすく 制作年不詳 水彩、紙 予告 郷土資料館区制90周年記念企画展  「昭和の暮らしと遊び〜昔の遊びを体験してみよう〜」 5月5日(祝)〜8月28日(日) ※月曜日休館 昭和の暮らしを和室で再現するとともに、当時の家電製品や生活資料を写真・映像も加えて展示紹介します。めんこ、コマ回し、おはじき、けん玉などの遊びも体験できます。 ※新型コロナウイルスの感染状況等により内容を変更する場合があります。 (仮称)昭和歴史文化記念館(南長崎3−4−10) 昭和20年代に建設された戦後マーケット「味楽百貨店(みらくひゃっかてん)」を活用して、昭和の雰囲気が感じられる文化施設を11月にオープンします。区制施行90周年を記念して、特別企画展を開催します。詳細は広報としまや区ホームページなどで紹介します。 [問い合わせ]文化デザイン課施設整備グループ 電話3981-1476