作文コンテスト受賞作品 小学生の部 842作品 中学生の部 650作品 常任委員長賞 犯罪を減らすためにゴミ拾いを 仰高小学校 6年生 加藤 紗綾さん  私の住んでいる街では、毎年5月30日に「ゴミゼロデー」という取り組みが行われます。この日は、学校の周辺にあるタバコのすいがらや紙クズ、ペットボトル、空き缶などのゴミを、全校生徒で拾い集める清掃活動をします。街を掃除すると、環境破壊が抑えられ、自然が守られるばかりでなく、犯罪防止にもつながるそうです。私はなぜ街がキレイになると犯罪防止につながるのか、少し不思議に思いました。  私は自分の部屋が散らかっていても、そのままほったらかしにしてしまう時があります。ですが、自分から進んで部屋を片付けると自然と心もキレイになるような気がします。同じように街を掃除をした人自身の心も整えられて、悪いことをしようとする気持ちが抑えられるのかなと思いました。  また、妹の部屋はとても散らかっています。そのため、妹のものが1つや2つ部屋からなくなっても気づかないと思いました。私の欲しいものがあったら勝手に持っていってしまうかも、と思うときもあります。もし妹の部屋がキレイであったらこんなことはおそらく考えません。散らかっている空間にいると、私の弱い心が出てきてしまうように思います。  そもそも大切にされる場所は整然としていて美しいことが多いと思います。例えば神社などはいつも片付けられていて整理されているイメージがあります。神様を大切にしていることがとても伝わります。同様に街をキレイにすることは街に住む人たちを大切にすることで、人は大切にされると悪いことはあまりしないと思います。  街の掃除と犯罪の関係についてインターネットで調べてみると、「割れ窓理論」という理論があることを知りました。割れ窓理論とは、1枚の割られた窓ガラスをそのままにしていると、さらに割られる窓ガラスが増え、いずれ街全体が荒廃してしまうという、犯罪学者のジョージ・ケリング博士が考えた理論です。  ゴミがたまっていて汚れている場所は、「少しくらいルールを破っても大丈夫」という考えになってしまい、犯罪発生率の増加につながるといいます。また、街の人たちがゴミを見ても知らんぷりをすることは、目の前で万引きしている人を見た時にも知らんぷりをすることが多くなるそうです。そういう場所だと思われないためにも、街の人々が清掃活動を心がけることはとても大事なことなのだと思いました。  そして、ただ一定の人が清掃活動をするだけでは犯罪は減りません。少人数の人がやっていても、その意識は限定された人たちだけにしかないということになります。たくさんの人がこの問題に向き合うことで、一人ひとりの心がキレイになり、犯罪を起こそうと思う人が少なくなると思います。地域団体、学校、市民がれんけいし、たくさんの人にボランティア活動などを呼びかけられると良いと思います。  街をキレイにするということは、街を大切にするということです。街を大切にするということは、住んでいる人たちを大切にするということです。大切にする人も大切にされた人も増やしていくことが、犯罪を少なくすることだと思います。そうして明るい社会をつくっていけるとよいと思います。 優秀賞 どんなことでも感謝をしよう 巣鴨小学校 6年生 根本 柚希さん  皆さんは、些細なことでも感謝できていますか。私は、だいたい言えています。そして、感謝をすることはとても大切です。そこで、私は「どんなことでも感謝をしよう」を提案します。これは、些細なことでも感謝をよくしようというものです。  感謝をよくすることは、自分の気持ちも良くなり、ストレスも溜まりにくく、健康にも好影響と科学的に証明されています。  ですが、最近感謝の声を聞かなくなりました。なので、自分は感謝をできているのかというアンケートを取りました。結果は、半々でした。つまり、感謝できている時とできていない時があるということです。感謝をできていない人は、心から感謝ができない、やありがとうとあまり言わないと言っていました。私がなにかやらかした時、すぐ出てくる言葉は、ごめんね。ですがそんな時、ありがとうと言えるようになることが大事だと思います。そして、些細なことでも感謝する、という習慣をつけるなど、心から、すぐに感謝をすることが大切だと思いました。心のこもった感謝をされると、された人はともて嬉しくなります。私は昔、グループでそっせんして発表してくれた友達に、すぐありがとう。と言えました。その時、友達はうん!と喜んでくれました。そのことから、感謝をしてよかったな、と心に残りました。なので、感謝は大事だと思いました。  ですが、感謝をされると皆は嬉しいの?と思う人もいるでしょう。そこで、感謝をされると嬉しいか、とアンケートを取りました。結果、皆がうれしいと答えました。その中の数人にインタビューをしてみると、気持ちを込めてくれると、良いことをした実感が湧く、や感謝は身近でよく言ってくれるけど、一つ一つに気持ちがあって嬉しいなど、気持ちがこもっていると嬉しい、と言っていました。私も、友達の片付けを手伝ったときに、本当にありがとう!と言ってくれたのが、とても嬉しかったです。何も考えずにありがとう、といっぱい言うのではなく、心のこもったありがとうを言うのが大切だと思います。  そして、感謝をすることに何のメリットがあるのかを調べたので、いくつか発表します。それは、身体的な効能として、免疫力の向上、痛みの軽減、血圧の低下などがあり、心理的効能として、ポジティブな感情の高まり、楽天性や幸福感の高まりなどが挙げられるそうです。さらに社会的効能として、他者を助け寛容で慈悲深くなる、孤立感や孤独感の軽減、外向性の向上などの変容が見られたそうです。つまり、感謝をすることによって、幸福感も高まり気分や身体、人間関係が良くなるなど、ポジティブな影響がある、とのことです。私もこの資料をみて、たしかに感謝したら、最近あまりストレスを感じないなと思いました。  私は、些細なことでも感謝をすることがとても大切だと思います。感謝する人も、される人も嬉しくなり、健康やストレスの低下にもつながります。皆さんも、意識して、感謝をしてみてはいかがですか。 優秀賞 共に支え合い、共に乗りこえていこう 目白小学校 6年生 鷹取 采那さん  私は目白駅で目の不自由な人がホームから転落して亡くなる事故があったことを電車に乗る時に母から聞きました。今では、駅のホームにホームドアが付いていますが事故があった時はなく、ホームの幅も狭いのでお母さんでさえ怖かったそうです。特に子供を連れて電車に乗る時には、気をつけたと言っていました。  私はその話を聞いてから、目の不自由な人を見かけると大丈夫かなと気になります。でも、自分から声をかけたりするには勇気がいります。白い杖をついているので目が不自由なんだとは分かりますが、どんな人なのか分からないし、知らない人なので、正直声をかける自信はありません。だからと言って、その人がぶつかったり、落ちそうになるのが心配なのでお手伝いしたいと思います。ある時、母と病院の帰りに目の不自由な人が前を歩いていました。途中から点字ブロックがない道だったので、杖にあたる物もなくとても心配になりました。一緒にいた母はとっさに声をかけて  「お手伝いします。この道は点字ブロックがないのでどちらへいらっしゃいますか。こちらにおつかまりください。」  と腕につかまってもらい道案内をしました。私は母がさっと声をかけてお手伝いできることはすごいなと思いました。そして母は私に  「無事に帰ることができるといいね。」  と言っていました。人を思いやることはとても大切なことだと思います。世の中には、高齢者や子供連れの人、車椅子の人、耳の不自由な人、様々な出会いがあると思います。そのような時に大変そうだったり、困っている感じがしたり、手助けが必要だと感じたら、迷わず手を差し伸べることができるようになりたいと思います。世の中の人々が思いやりのある親切な人が増えたら、ハッピーだと思います。  私もそのような出会いがあったら、見て見ぬふりはしたくないです。だから、自分にできることを増やそうと思いました。  例えば学校で友達が困っていたらそっと声をかけたり、のりもので席をゆずったり、道に迷っている人がいたら、道案内をしたり、自分ができる人への思いやりを増やしていければ自分に自信がつくと思いました。  そして、自分がそうした思いやりが人に伝わっていろんな人も人を思いやれることができるきっかけになったらうれしいです。  人は生きていくのに一人では生きていけないとよく言われます。私もお父さんやお母さんがいないと大好きなサッカーをすることもできないし、ご飯や洗たくそうじも自分でやらなければなりません。私の家には8人も住んでいます。おじいちゃん、病気のおじさん、お父さん、お母さん、お兄ちゃん2人とお姉ちゃん、もう亡くなったけれど寝たきりのおばあちゃんもいました。私の家にもいろいろな年齢や体の不自由な人がいるので、できる人がやらないと生活ができません。家の中でもお互いが協力しないと生活ができないから家族以外でも協力したり手伝ったり、自分も助けてもらったり、いろいろな人と助け合わないとなりません。だから、助け合いの世の中で、みんながやさしい気持ちが増えたらうれしいです。 常任委員長賞 「命が教えてくれた」 西巣鴨中学校 3年生 宮原 蒼介さん  僕は、小学2年生の頃におじいちゃんを亡くしました。  ある日、いつも通り通っている学校に電話が届き、早退することになりました。家に帰ってお母さんから、実家に帰るから今すぐに準備をするようにと伝えられました。昼過ぎには家を出て、急いで実家に到着したのは夜でした。お母さんが玄関の扉を素早く開け、急いで靴を脱ぐのを不思議そうに見る僕、なんでそんなに急いでいるんだろうと思っていましたが、仏間の扉を開けると、思いもしなかった景色がありました。そこには布団の中に横になり、目を瞑り、肌が白く冷たくなったおじいちゃんがいました。お母さんはすぐに駆けつけ、冷たくなった手を握りました。僕は、そんなお母さんとおじいちゃんを、衝撃的な気持ちに押しつぶされ、立ち止まって見つめることしかできませんでした。  時間が経つにつれ、お葬式などの準備が始まり、おじいちゃんのことを考える日々が続いて、今まで僕はおじいちゃんに何もしてあげられていないと思うようになりました。今でも、おじいちゃんに小学2年生の頃の僕が、何をしてあげられたかは分かりません。でも、どんな些細なことでも、きっとおじいちゃんは喜んでくれると思いますが、おじいちゃんが何をしてもらえたら喜ぶのか、嬉しいのかが分かりませんでした。そう、僕はおじいちゃんのことを知らなかったのです。僕が生まれてから7年間の間でも、少ない時間しか時を共にすることができませんでした。おじいちゃんは僕との思い出がたくさんあるのかもしれないけれど、僕がおじいちゃんとの思い出を鮮明に覚えているのは、片手で数えられるほどしかありません。おじいちゃんはたくさん僕のことを可愛がってくれたのに、僕はおじいちゃんに何もしてあげられなかったことが心残りでした。だから、これからは人間関係で心残りにならないように、自分から相手のことをよく知ろうと、この経験で考えることができました。命を守るのは当然ですが、命は永遠に守ることはできません。皆いつかは終わりが来るのです。だから、終わりが来るまでの時間を大切に、そして記憶に残る良い思い出を作るためには、お互いのことをよく知り、仲を深め合っていくことが大切だと思ったのです。  それから、今までは他人事としてしか見ていなかった暴行事件やいじめによって自殺してしまったニュース。それまでは、「かわいそうだな。」と同情しかしていなかったし、どこかで他人事と思っている自分がいました。でも、おじいちゃんの死を思い出して、同情ではなく、理解していく必要があると感じました。これらの不快なニュースは、被害にあった人自身だけではなく、その人に今まで関わってきた人全員が被害者になり、つらい思いをします。他人事ではなく自分たちの住んでいる、身近な世界で起きていることを理解する必要があると思います。  今回、つらい過去を振り返って、これから二度とつらい思いをする人がいなくなってほしいなと、改めて思うことができました。その思いをしっかり自分の中にとどめて、生きていかないといけないと強い責任感を覚えました。 優秀賞 罪の償い 西池袋中学校 2年生 大橋 彩希さん  罪を犯してしまったとき、どうすればよいのだろうか。罪といっても、万引きだとか、大きなものではなくて、ささいなこと。友達に一言きつく言ってしまったとか、そんなこと。きっと、そんなことは罪とは呼ばないのかもしれない。だけど、そういう小さな罪はたくさん犯しているはずだ。  先日、部活の帰りに車いすのおばあさんを助けた。道の真ん中で、動きづらそうにしていたので、私と友人二人は、家まで送ってあげることにした。道中、いろいろなことを話したが、そこでおばあさんは「助かるわ。」や、「ありがとう。」と私たちに伝えてくれた。家まで送りとどけたあと、家までの道のりで、私は思った。「今日は良いことをしたな。」と。私の両親は、良いことをすれば巡り巡って自分に返ってくる、と言っていた。それでは、果たして悪いことをすればどうなるのだろう。たとえば、友人をいじめた、とか。きっといじめた人は、悪いことをしたのだから、周りにも嫌われてしまう。良いことをすれば、周りから好かれる。悪いことをすれば、巡り巡って返ってくる。もしも悪いことをしてしまったら、反省しなさい、と怒られる。悪いことをして、反省し、良い行動でそれを取り返そうとすることは、私は良いことだと思う。少なからず、困っている人は周りにたくさんいる。その人を一人残さず救うことができれば、社会は明るくなるのではないか。罪ばかりの世界より、罪があったとしても、助け合う世界のほうがもっと良いはず。犯罪を起こさないことは当たり前かもしれないけど、日常の中での小さな罪があったとしても、きちんと反省し、良いことで取り返そうとする気持ちが大切だと思う。一人一人がその気持ちを持つことで、誰かが助けられるはずだ。  私もあの日、おばあさんを助けた。助けることは、心もあたたかくなる。私はこれからずっと、助けるその気持ちを大切にして、社会の悲しみより、笑顔を増やしたいと思ったし、悪いことを悪いことで終わらせたくないと思った。 優秀賞 あいさつと社会を明るくする運動 西池袋中学校 2年生 広川 結衣さん  私は、犯罪や非行のない社会を目指すために、「あいさつ」が大切だと考えます。  私達は学校全体で、あいさつに力を入れて取り組んでいます。学校が始まってすぐの全校朝礼で、校長先生があいさつをする意義についてお話しされていました。私は、その話を聞いて、この「社会を明るくする運動」とあいさつのつながりについて、三つのことを考えました。  一つ目はあいさつを積極的に行うと、犯罪や非行の減少につながるということです。学校内であれば、すれ違った大人の人にあいさつをし、地域内であれば、知り合いの人に会ったらあいさつをすることで、ここの場所は人気のある場所だというイメージをつくることができます。人目のつく場所だと不審者は犯罪や非行をしにくくなります。結果的に、犯罪や非行の減少につながるのです。あいさつは、いつでも、どこでも、だれとでもできる、とても便利なものです。気軽にあいさつをするだけで、犯罪や非行の減少につながるのは、とても良いことだと思いました。  二つ目は地域や学校内での人と人とのつながりが強まるということです。これは、一つ目に言ったことにもつながりますが、あいさつをすることで、地域や学校の活性化も考えられると思いました。あいさつは人とコミュニケーションを行う上で、重要なツールであり、日々の生活の場面でも、あいさつをすることは多々あると思います。あいさつをするといっても、相手の目を見ずに、感じの悪い態度でされたら、お互いに良い気持ちにはなりません、相手の目を見て、相手に聞こえる声ですると、雰囲気も良くなり、地域全体の活性化にもつながると思いました。  三つ目は将来の自分の自信につながるということです。将来、学校生活だけでなく、受験や会社の面接であったり、会社の職場でも、あいさつが出来る人というのは、他者からの信頼が高くなります。逆に、そういった場面で出来ていないと、信用を失うことにつながり、失敗してしまう可能性が高くなります。そして、気持ちが沈み、犯罪や非行を行うリスクも高くなると考えました。そういった意味でも、あいさつと犯罪や非行は深く関わっていると思いました。  これらのことから、改めて自分の行動や生活をふり返ってみました。基本的に、あいさつは「されたらする」という考え方になっていました。家族にもあまりできていないという印象でした。家族にもあまりできていないという印象でした。なので、これからは、自分から積極的にあいさつを行い、今は少し難しい年頃ですが、家族にもしっかりとするようにしたいです。そして、あいさつの習慣をつけて、犯罪や非行のない地域社会づくりにつなげていきたいと思いました。