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更新日:2024年4月1日

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図録(1991年度)

千川上水展─うつりゆく流域のくらしと景観─(完売)

図録『千川上水展』

  • 展示期間:1992年2月14日から3月19日

豊島区立郷土資料館では、これまで「失われた歴史的景観」というテーマで、様々な展示や講座・体験学習を実施してまいりました。

これら一連の事業では、豊島をとりまく地域の都市化に伴って、人々の暮しや生産活動の変容を背景とする「景観」の変化に着目し、そこから豊島区の歴史的な変遷について、様々なアプローチを試みてきました。
講座・体験学習については、1989(平成元)年度の「豊島区の川を歩く~谷端川・弦巻川~」で、現在ではすっかり暗渠となってしまい、水流を見ることができない豊島区内の河川に着目したフィールドワークを行いました。また今年度実施しました体験学習「水辺探索フィールドワーク~千川上水を歩いて・見て・記録する」は、豊島区域を潤し、江戸へも給水していた千川上水をその水源までさかのぼるものでした。
これらの、体験学習には大変多くの参加希望者があったことも、河川や水辺への関心がいかに高まっているかということを示すものと言えるでしょう。
また、展示では、1987(昭和62)年度の冬期特別展として「失われた耕地~豊島の農業~」を、1990(平成2)年度の夏期特別展として「ミルク色の残像~東京の牧場展~」を実施しました。
この2つの特別展では、都市化が豊島地域に波及し、耕地や牧場が失われていく過程で、人々の生活にどの様に関係していたかについての問題提起を行いました。
今回は、これら過去2回の特別展と、体験学習を踏まえたうえで、千川上水に関わる特別展を企画いたしました。

この特別展では、かつて区内を流れ、江戸時代から豊島区域と密接な関係をもちながらも、現在ではすっかり暗渠となって姿を消してしまった千川上水が、その昔は水が流れ、いろいろな産業に利用され、人々の暮しを様々な意味で潤していたということを、もう1度考え直し、都市生活における「水」と「人」とのかかわりあいについて、改めて見直す機会としたいと思います。(図録序文より)

 

こどもの再発見─豊島の児童文化運動と新学校─

図録『こどもの再発見』

  • 展示期間:1991年8月1日から9月29日
  • 価格:1,100円

今回の特別展「こどもの再発見」では、大正から昭和初期にかけての豊島区地域が、児童文化運動と自由教育運動の発祥地であり、中心地であったことを広く紹介するとともに、これらの運動を担った人々の活動を通して、今後の豊島区の児童文化・教育のありかたを考える素材を提供したいと思います。
いまから約70年前、大正デモクラシーとよばれる時代は、それまでのおとなの尺度から子どもをみるのではなく、子どもを一個の人格としてとらえ、子どもの個性や独自の精神世界に注目しようとした、子どもの発見の時代でした。この時代に童話作家・文学者・画家などによる、子どものための文化運動が豊島区地域に誕生しています。
その先駆的・中心的役割を果たしたのが、1918年(大正7年)鈴木三重吉によって創刊された『赤い鳥』でした。『赤い鳥』は、子どもの視点に立った新しい童話・童謡・童画を創作・提唱し、数多くの童話童謡雑誌を誕生させた点で、日本の近代児童文化の革新をおこなったといえます。
またその一方、『赤い鳥』誌上で展開された子ども自身の創作による綴方・自由詩・自由画作品の紹介と指導は、全国の小学校の若い教師たちを巻き込んだ運動へと発展し、当時の学校教育界に少なからぬ影響をあたえました。
そしてこれとほぼ同時期に明治以来の公教育を批判して、形式主義と画一主義からの開放、児童の自発性と創造性の育成を教育目的に掲げた新学校が、豊島区地域に誕生しています。ここでは、羽仁もと子の自由学園と『教育の世紀』社の実験校である池袋児童の村小学校を取り上げましたが、豊島の新学校が自然の中で子ども中心の自由な教育を実践し、多くの成果をあげたことは、日本の近代教育史上特筆すべきことです。
この展示会が、子どもはもとよりおとなや学校教師の方々にとって、こどもの再発見の場となれば幸いです。(展覧会チラシより)

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