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更新日:2024年4月1日

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図録(1996年度)

大黒煎餅の歴史(図録なし)

  • 展示期間:1996年

昨年の大晦日、中山道沿いで70年以上も煎餅を作りつづけた北田商店(西巣鴨3丁目、屋号・大黒煎餅)が、常連客に惜しまれながら店を閉じました。資料館では、北田好甫(よしとし)・邦子さんご夫婦のご協力を得て、2月17日、煎餅の製造・販売に関する貴重な資料を100点余り(車2台分)寄贈していただきました。

北田商店は、石川県出身の父権次氏(明治31年生まれ)が、佐野屋(小石川区の煎餅屋)に奉公後、大正11年(1922年)に独立して高岩寺(通称とげぬき地蔵)近くの家を創業したのに始まります。現在地に移転したのが大正12年。昭和5年(1930年)には3階建てのいわゆる「看板建築」(幅2間半)の店舗兼製造所を構えました。
好甫さんが店を継いだのが昭和33年。以後、米を蒸す→生地を作る→干して焼くまでの根気のいる作業を一貫して行ない、煎餅職人の技を守り続けてきました。手作りの大黒煎餅の味に惚れて遠方から買いに来られる常連さんも多かったといいます。
しかし、煎餅がスナック菓子の人気に押され気味となった現在、北田商店のような零細業者は苦境に立たされる時代となりました。
資料館では、昭和初期の中山道商店街の面影を残す北田商店のあゆみを、寄贈資料をもとに紹介、展示しています。
(かたりべ45号より)

千川上水探訪マップ(完売)

図録『千川上水探訪マップ』

  • 展示期間:1996年11月24日から1996年12月15日

千川上水は江戸時代、小石川御殿、湯島聖堂、浅草の浅草寺などと江戸市中の水を確保するために玉川上水を分水した上水です。また、開削の当初から流域の農業用水としても利用され、近代以降は製紙工場や水車などの産業用水としても利用されました。
今年は、千川上水が元禄9(1696)年に開削されてからちょうど300年目にあたります。そこで豊島区立郷土資料館では、これを記念してフィールドワーク・企画展などを中心とした関連事業を開催し、水と区民との関わりの歴史をあらためて考えることにしました。そして本冊子である「千川上水探訪マップ」を企画展に合わせて刊行することとしました。
これまで郷土資料館では、千川上水を散策する際のガイドマップ的なものは『かたりべ24・25合併号』や『豊島区地域地図第6集』の解説書などに載せておきましたが、写真が少ないなど不十分なものでした。そこで今回は、なるべく「探訪マップ」の機能を重視した編集内容としました。従って千川上水の歴史の詳細については1992年の特別展図録『千川上水展─うつりゆく流域のくらしと景観─』や『豊島区立郷土資料館調査報告書「千川上水関係文書I」』などをご参照ください。
また今回の記念事業は、練馬区教育委員会・板橋区立郷土資料館と相互に協力しながら組み立てました。ここに関係者各位に感謝申し上げます。
1996年11月豊島区立郷土資料館
(図録序文より)

長崎村物語(完売)

図録『長崎村物語』

  • 展示期間:1996年9月28日から1996年11月17日
  • 価格:700円

「だんだん変わっていきますね」
「そうですね。でも変わらないものもありますよ。」
散歩の途中に足を止め、景色が変わったと思うことがあります。どう変わったのでしょうか。古い家が壊され庭の樹木がなくなっているのです。でも、少し行くと、道の角にお地蔵さんがありました。
新緑の5月、今年も見に行きます。花笠の衣装が昔とは違うと思う年配の方もいることでしょう。でも、自分が若い時にしていた時と同じように、御獅子が踊っていると目を細める人もいるでしょう。人から人へ、確かに獅子舞は伝えられているようです。
日々の暮らしのなかでは、前と同じようだけど少し変わったなと思うことがあります。また、長年してきたことだけど、昔の人はどうしてこのようなことをしてきたのだろうと思うこともあります。
私たちが伝承してきたことを振り返り、新しいことを発見しましょう。(展覧会チラシより)

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