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長崎アトリエ村跡

更新日:2024年3月11日

スポット

長崎アトリエ村跡-1

長崎アトリエ村模型(外観)

 

長崎アトリエ村跡-2

長崎アトリエ村模型(内部)

 

昭和の初めから戦前にかけて、豊島区西部の要町・長崎・千早地域に、絵や彫刻を勉強する独身学生向けのアトリエ付借家群が形成され、アトリエ村と呼ばれました。最初にアトリエ村がつくられたのは1931(昭和6)年のことで、「すずめが丘アトリエ村」と呼ばれました。その後「さくらが丘パルテノン」「つつじが丘アトリエ村」など、次々に建てられ、最盛期は百人を超える画家や彫刻家などの芸術家が住んでいました。

アトリエ付き住宅は、15畳ほどのアトリエに作品を搬出するための大きな窓と安定した採光を得るための北向きの天窓があり、居室部分は狭く、多くは3畳から4畳半でした。彼らは切磋琢磨しながら貧しさの中で創作に打ち込み、また、夜になれば池袋の街にくり出し、自由な雰囲気のもと、分野や流派を超えて芸術論をたたかわせたり、未来の夢を語り合うなど、様々な交流を繰り広げました。

※写真は郷土資料館提供

問い合わせ

豊島区立郷土資料館 03-3980-2351

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