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マップでめぐるトキワ荘 トキワ荘ゆかりの地をご案内!

更新日:2024年3月11日

スポット

 

トキワ荘マンガミュージアム

かつて豊島区椎名町(現南長崎)にあったトキワ荘を再現したミュージアム。外観は当時のトキワ荘を忠実に再現しており、館内では一部居室の再現展示や、常設展示、年3回程度の特別企画展を行っております。

開館時間 午前10時~午後6時(最終入館午後5時30分)
休館日 毎週月曜日(月曜日が祝日の場合は、翌平日が休館)、年末年始
入館料 無料(特別企画展開催中は入館時に観覧料あり)
住所 豊島区南長崎3-9-22 南長崎花咲公園内
最寄駅 西武池袋線 東長崎駅、都営大江戸線 落合南長崎駅
問い合わせ 03-6912-7706
ホームページ 豊島区立 トキワ荘マンガミュージアム

 

トキワ荘通りお休み処

トキワ荘ゆかりの地を訪れるファンたちの憩いの場にと、平成25年12月にオープンした案内施設。2階には、寺田ヒロオが住んだ4畳半の部屋が再現され、トキワ荘関係の展示やマンガも閲覧できます。

開館時間 午前10時~午後6時(最終入館午後5時30分)
休館日 毎週月曜日(月曜日が祝日の場合は、翌平日が休館)、年末年始
入館料 無料
住所 豊島区南長崎2-3-2
最寄駅 西武池袋線 椎名町駅、都営大江戸線 落合南長崎駅
問い合わせ 03-6674-2518
ホームページ 豊島区 トキワ荘通り お休み処

トキワ荘マンガステーション

2020年7月7日、豊島区立トキワ荘マンガミュージアムと同時にOPEN。

場所は、トキワ荘通りお休み処の三軒隣です。トキワ荘関連の書籍約6000冊が自由に読める施設です。「漫画少年」(復刻版)や、トキワ荘に入居していたマンガ家、その関連の貴重な作品を手に取ってご覧頂けます。(50分入替制)

開館時間 午前10時~午後6時(最終入館午後5時50分)
休館日

毎週月曜日(月曜日が祝日の場合は、翌平日が休館)、年末年始

入館料 無料
住所 豊島区南長崎2-3-3
最寄駅 西武池袋線 椎名町駅、都営大江戸線 落合南長崎駅
問い合わせ 03-6915-3277

 

トキワ荘跡地モニュメント

老朽化のため1982年に取り壊された「トキワ荘」跡地には、現在「日本加除出版株式会社」の社屋が建っており、トキワ荘の痕跡は残されていません。2012年、「マンガの聖地」を訪れるファンたちのために、ここがトキワ荘の跡地であることを記したモニュメントが同社敷地内に設置されました。

記念碑「トキワ荘のヒーローたち」

トキワ荘を地域の文化資源として継承・発信していくシンボルとして、2009年に地域との協働で設置した記念碑です。台座部分にはトキワ荘に入居していた10人のマンガ家たちの自筆の似顔絵とサインが刻まれ、その上部にはトキワ荘のブロンズ模型が乗っています。模型の玄関前にあるスクーターは、毎日のようにトキワ荘に通っていたつのだじろうの愛車で、つのだのほかにも、永田竹丸、長谷邦夫、横山孝雄、園山俊二など、住人だけではなく、トキワ荘に集った多くのマンガ家たちも「トキワ荘の青春」を彩っていたことを象徴しています。
また、記念碑が設置されている南長崎花崎公園には、当時「大和寮」と呼ばれていた都営バスの社宅がありました。

中華料理店「松葉」

創業は1950年頃。当時1杯40円のラーメンの出前をよく取っていたという、マンガ家たち御用達の中華料理店で、マンガや映画・ドラマなどにも登場する有名店です。トキワ荘のマンガ家たちにゆかりの数少ない現存店で、店内にはマンガ家直筆の色紙がたくさん飾られ、ファンが必ず立寄るスポットです。

エデン跡

戦後間もない1948年開業、山手通りと目白通りの交差点にあった音楽喫茶で、マスター自慢のジュークボックスと、当時としては珍しいエアコン設備があり、石ノ森章太郎、赤塚不二夫、水野英子らが打ち合わせや原稿書きなどに足しげく通いました(ウェイトレスの女の子が目当てだったという説も)。山手通りの拡幅により2002年閉店。

菊香堂跡と鈴木園

手づくりパン・ケーキの店「菊香堂」の当時10円だったコッペパンに、コロッケやメンチカツをはさんで食べるのがマンガ家たちの定番でした。金欠のため、1個のコッペパンを赤塚不二夫と石ノ森章太郎が分け合って食べたというエピソードもあります。また、藤子不二雄Aと藤子・F・不二雄は、この店のケーキを買って雑司が谷・並木ハウスの手塚治虫を訪ねました。
鈴木園の2階にあったアパートは、1961年にトキワ荘を出た新婚の赤塚不二夫夫妻とよこたとくお夫妻が同時期に引っ越したところで、当時新築の家賃は二間で約1万円でした。ここから、赤塚の「おそ松くん」「ひみつのアッコちゃん」、よこたの「マーガレットちゃん」の連載が始まりました。
(注)藤子不二雄のAは○で囲みます

鶴の湯跡

トキワ荘の住人たちも通い、1991年ごろまで営業していた銭湯で、藤子不二雄Aの「まんが道」にも登場します。寺田ヒロオたちは、午後3時の一番風呂に入るのが楽しみで、マンガのアイデアにつまると、よく一番風呂に来ていたとか…当時の湯銭は15円でした。
(注)藤子不二雄のAは○で囲みます

目白映画跡

テレビが普及する以前は、映画は娯楽の王様で、マンガ家たちも映画が大好きでした。目白映画は東宝系の映画館で、黒沢映画や「ゴジラ」の封切りなどのほか、洋画もよく上映していました。マンガ家たちは、池袋の人生坐や文芸坐にも出かけたそうですが、トキワ荘に一番近いこの映画館にもきっと訪れていたことでしょう。1970年ごろ閉館。

子育地蔵尊

トキワ荘の近くにあった「第一マーケット」は、最盛期には20店舗以上が入り、寺田ヒロオも特売日にコロッケやメンチカツなどをここで買っていました。マーケット跡地脇の参道奥にある子育地蔵尊は、2010年に開祖300年を迎えた地域のシンボルで、戦前の「地蔵さんの縁日」の賑わいは、巣鴨をもしのぐほどだったと言われています。新宿区下落合の自宅から歩いてトキワ荘に通っていた永田竹丸も、子どもの頃、この縁日に出かけてきたそうです。

田中正雄の仕事場跡

椎名町周辺にはトキワ荘以外にもマンガ家が多く住んでいました。柔道マンガ「ダルマくん」の作者で、大阪時代から手塚治虫と親交があった田中正雄も、1953年頃から、この地にあった大野屋という旅館の2階二間を借り切って、母親と一緒に住んでいました。

紫雲荘と落合電話局

紫雲荘は、トキワ荘だけでは手狭になった赤塚不二夫が仕事場兼寝室として借りたアパートで、当時のトキワ荘の入口通路から出た道路の並びに現存しています。また、道路の真向いには、かつて落合電話局があり、その前にあった電話ボックスの公衆電話は、自分の部屋に電話も持てない時代のマンガ家たちにとって、出版社などとの重要な通信手段でした。

あけぼの湯跡

あけぼの湯・あけぼのハウス跡
「あけぼの湯」は、昭和48年(1973年)頃まで営業していた銭湯で、トキワ荘西側にあった「鶴の湯」などとともにトキワ荘のマンガ家たちがよく利用していました。
また、石ノ森章太郎は、トキワ荘退出後の昭和37年(1962年)から「あけぼの湯」に隣接した「あけぼのハウス」というアパートに入居し、数年間ここで創作活動をしていました。
「あけぼの湯」と「あけぼのハウス」を含めた跡地部分は、現在「区民ひろば富士見台」の敷地となっていて、その庭には、銭湯時代の灯篭などが残っています。

トキワ荘ゆかりの地散策マップ(令和2年4月改定)

マンガ家たちが暮らした椎名町。
昭和の面影を残す街並をゆっくり歩いてみませんか?

トキワ荘ゆかりの地散策マップ

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