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池袋東貝塚は、明治29(1896)年に考古学者の蒔田鎗次郎(まいたそうじろう)により発見された縄文時代の貝塚です。付近では池袋西貝塚(現在の氷川神社裏貝塚)も見つかっていましたが、近隣の宅地化が進む中でしだいに破壊され、大正時代にはどちらの貝塚も正確な位置がわからなくなっていました。
平成29(2017)年10月、本地点で行われた発掘調査において、地中より貝塚が発見されました。ハマグリやハイガイなどの貝、獣骨や魚骨とともに、縄文時代後期を中心とする土器や石器が多数出土しました。消滅したと考えられてきたこの地域の縄文貝塚の実態を示す重要な発見といえます。
今回発見された貝塚は、地表から約20cmという非常に浅い場所で発見されました。年代は、縄文時代後期(約4500~3300年前)で、貝層(貝などが密集してできた層)は長さおよそ6m、最大幅3mの帯状です。貝層が調査範囲を超えて広がっていると思われることから、今回見つかったのは貝塚全体のごく一部ではないかと考えられています。
【発掘された時の様子。白っぽい部分が貝層】
今回の調査で、縄文時代の石器、土器などの遺物が数多く発掘されました。遺物の多くは縄文土器片で、20000点以上あります。
また、ハマグリ・シジミ・アサリ・アカニシなどの貝とともに、シカ・イノシシなどの骨、魚の骨などが多く見つかりました。
現在、発掘した貝や魚の骨などを洗って乾かしております。これらの種類や年代などを、これからひとつひとつ調べていく予定です。
また、出土した土器の破片をつなぎ合わせ、復元する作業も行っております。
作業の途中ではあるのですが、破片がつながって形がはっきり分かるようになった土器の一部をお見せします。
これらの土器がどの時代に、どのように使われていたのか、これから調査を進めていきます。
【土器1】 【土器2】
このあたりに縄文時代の遺跡が残っているという事実は、蒔田鎗次郎をはじめとする考古学者だけでなく、地域の人々にも知られていたものでした。実際に、地域の人々が畑などで土器や石器を拾ったり、石鏃(せきぞく 石の矢じりのこと)などを集めたりしていたという話が伝わっています。したがって、今回の発見はその「再発見」なのです。
都心部で貝塚が見つかること自体が珍しく、また豊島区で初めての明確な貝塚発見であるという意味で、この「再発見」は歴史上重要な発見であると言えます。そして同時に、池袋本町地域の人々が語り継ぎ、忘れられかけつつも大切に残してきた地域の記憶という文化的遺産の再発見であるという意味で、地域にとって重要な発見であるとも言えるでしょう。
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