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長崎獅子舞

長崎獅子舞の写真

<区指定無形民俗文化財>

長崎獅子舞の始まりは、元禄年間(1688~1703)に、長崎村五郎窪(現在の南長崎3丁目から4丁目付近)に住んでいた伊佐角兵衛という人が、神社に獅子頭を奉納したことが始まりと言われている。

長崎神社に明治40年(1907)3月に奉納された納額によれば、伊佐角兵衛の先代が腰痛で大変困っており、いろいろな治療を受けたが一向に効果がなく、この上は神仏に頼る以外ない、として長崎神社に祈願したところ、たちまち全快したという。そこで、そのお礼として獅子4体を彫刻してその内3体を奉納した。その後、明治40年に改めて、自宅に保管してあった残り一体の獅子頭が神社に奉納されたという。

こうした出来事をきっかけとして、五穀豊穣と病気平癒などを祈る獅子舞が始まったと考えられるが、何度か衰退の時期を迎えることになる。江戸時代では享和・文化年間(1801~1818)ころには一度衰退して、中断されていたとされる。その後の天保10年(1839)には再開しており、尾張徳川家に招かれ、高張り提灯を拝領したと言われる。

明治時代以降も、何回かの衰退を迎えており、太平洋戦争中にも中断された。その後、戦後の比較的早い時期である昭和23年復活したが、昭和33年ころに中断されてしまう。そして、昭和45年に再興され、長崎獅子連・長崎神社氏子会が中心となって、現在まで伝承されている。

獅子頭をかぶり、腹に太鼓をつけた三匹の獅子が、ササラをもつ四人の花笠と共に舞う形は、関東地方によく見られるが、演目の組みかたにその特徴があり、昭和初期からは四匹の獅子が演じるようになっている。このように、古くから伝承されてきた民俗芸能であり、またそれに使用される衣裳や道具類も、地域的な特徴がよく残されているということから、平成4年(1992)11月に、獅子舞が豊島区無形民俗文化財、獅子頭や衣裳・道具類が豊島区有形民俗文化財に指定された。

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庶務課文化財グループ

電話番号:03-3981-1190

更新日:2022年10月25日