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豊島区の歴史をみてみよう

近代化のはじまり

近代化のはじまりイメージ

江戸時代が終わり、新しい時代を迎(むか)えました。江戸が東京へと名前が変わったことをはじめとして、社会全体でさまざまな改革(かいかく)が行われていくなかで、豊島区のまちのすがたも大きく変化していきます。

◆まちのようす

この頃の豊島区は手付かずの自然が多く、ところどころに農家があるというものでした。ちょうどこの頃、駒込や巣鴨の植木職人(うえきしょくにん)により生み出された「ソメイヨシノ」が日本全国に広まりました。まちの姿(すがた)が大きく変わり始めたのが、明治18年3月、日本鉄道(いまのJR)の赤羽と品川の間で鉄道が走るようになり、目白駅が開業(かいぎょう)したときからです。やがて池袋と田端の開でも鉄道が走り始め、大塚・巣鴨・池袋駅も作られました。
山手線の発達で交通が便利になると、豊島区に新たに移(うつ)り住む人が増(ふ)えました。農村だった豊島区に家やお店がたくさん建てられるようになったのです。
明治40年代になると、学習院(がくしゅういん)、大正(たいしょう)、立教大学(りっきょうだいがく)が豊島区に移(うつ)ってきました。これにより豊島区は学生のまちとしての姿(すがた)を整(ととの)えていきます。

◆駒込・巣鴨の植木職人

染井吉野桜記念公園
(染井吉野桜記念公園は駒込がソメイヨシノのふるさとであることを記念して名づけられました)

駒込や巣鴨の植木職人(うえきしょくにん)たちは職人(しょくにん)としての技術がたいへん優(すぐ)れていましたが、植物のことを研究することに対しても非常に熱心(ねっしん)でした。そのため、色々な種類の植物を掛け合わせて、新しい植物や珍(めずら)しい植物を作り出してきたなかで、「ソメイヨシノ」が誕生しました。
ところで、このソメイヨシノはもともと「吉野桜(よしのさくら)」という名前でした。しかし、奈良県にある吉野山(よしのやま)の山桜(やまざくら)も同じく「吉野桜(よしのさくら)」という名前がついていました。
それぞれ違(ちが)う桜(さくら)ですが、同じ名前だと間違(まちが)えられることが多くなるので、明治33年に植物学者(しょくぶつがくしゃ)の藤野寄命(ふじのきめい)により、染井の地名を加えた「ソメイヨシノ」と新しく名づけられました。それからは、ずっとこの名前で親しまれています。

 

*駒込・巣鴨の植木職人(うえきしょくにん)について、もっと詳しい内容をお調べになりたいときは、郷土資料館のホームページをご覧ください。
 郷土資料館 駒込・巣鴨の植木職人のホームページ

 

豊島区の近代化のなかで生まれた「ソメイヨシノ」。桜のほかにもまちを彩(いろど)る花は豊島区にたくさんあります。
 まちの紹介『大塚・巣鴨・駒込』のページへ

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更新日:2015年7月10日