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東京都指定有形文化財
雑司が谷旧宣教師館、雑司が谷1-25-5、電話:03-3985-4081
雑司が谷旧宣教師館は、明治40年にアメリカ人宣教師のマッケーレブが自らの居宅として建てたものです。マッケーレブは、昭和16年(1941)に帰国するまでの34年間この家で生活をしていました。豊島区内に現存する最古の近代木造洋風建築であり、東京都内でも数少ない明治期の宣教師館として大変貴重なものです。
また、当時の新興住宅地における布教活動と幼児教育の拠点としての意味を持っていたことを地域の人が記憶しており、昭和62年9月1日に、豊島区の登録有形文化財として登録し、その後、特に重要な文化財として保存、活用をさらに進めるため、平成4年11月10日に、指定文化財としました。その後、平成11年3月3日、東京都指定有形文化財(「旧マッケーレブ邸」)になりました。
この建物は、木造総2階建て住宅で、全体のデザインはシングル様式であり、細部のデザインにはカーペンターゴシック様式を用いており、19世紀後半のアメリカ郊外住宅の特色を写した質素な外国人住宅です。
豊島区では、昭和57年に取得して以来、建物調査、保存修理工事などを経たのち、平成元年1月から館内に関連資料等を展示し一般公開を行なっています。
ジョン・ムーディー・マッケーレブは1861年、アメリカ・テネシー州ナッシュビル郊外に生まれました。生後6か月で南北戦争により父を失い、以後多くの苦労を重ねながら勉学に励み、敬虔なクリスチャンの青年に成長しました。27歳の時、ケンタッキー州レキシントンにあるカレッジ・オブ・ザ・バイブルに入学し、ここで先輩の宣教師アズビルと出会い、彼の勧めによって日本伝道を決意したのです。
1892年、新婚の妻デラらと日本に渡ったマッケーレブは、築地・神田・小石川と伝道活動を展開、そして1907年雑司が谷に移り住み、以後この地を拠点に、太平洋戦争開戦直前まで、さまざまな困難に遭いながらも、ピューリタニズムに基づいた宣教活動を続けていったのです。約50年間にわたるマッケーレブの日本での活動は、慈善事業から幼児や青年の教育活動にまで及び、数多くの人々に感銘をあたえるものでした。
1階の展示では、宣教師マッケーレブの活動、生活ぶりを紹介しています。
その他児童図書コーナーでは、大正時代創刊の『赤い鳥(復刻版)』などの児童雑誌や図書を自由に閲覧できます。
2階の展示では、雑司が谷における近代の文化活動を主に紹介しています。
情報検索コーナーでは展示されている個別のテーマについてより詳しい説明をしています。
項目\年度 |
30年度 |
令和元年度 |
2年度 |
3年度 |
4年度 |
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入館者数 |
15,168人 |
14,517人 |
3,674人 |
8,129人 |
16,875人 |
講座等開催回数/参加者数 |
17回/218人 |
15回/191人 |
7回/95人 |
19回/110人 |
22回/105人 |
(令和2年3月2日~令和2年6月1日まで新型コロナウイルス感染症対策のため臨時休館。)
(令和2年11月9日~令和3年3月31日まで大規模修繕に伴う休館。)
(令和3年4月25日~令和3年5月31日まで新型コロナウイルス感染症対策のため臨時休館。)
館報
「雑司が谷旧宣教師館だより」の発行
講座等の開催
おはなし会、ギャラリートーク、コンサート、「東京都文化財ウィーク」事業参加など
マントルピース
1階居間の暖炉には、アールヌーボー風のタイルを使い、ケヤキ材の前飾がついています。
天井
2階には格子に割竹が使われ、外国人の竹への興味がうかがわれます
ベイウィンドウ
玄関わきの張り出し窓。1階は斜めに、2階は直角に変化をつけています。
建物の意匠
玄関ポーチの方杖(ほおづえ)など、カーペンターゴシック様式の特徴が随所にみられます。
お問い合わせ
電話番号:03-3981-1476
豊島区立雑司が谷旧宣教師館
電話番号:03-3985-4081