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区登録有形民俗文化財「延命地蔵堂の石造物群」のセットバック工事を行いました

豊島区西巣鴨2-33-4にある区登録有形民俗文化財「延命地蔵堂の石造物群」にて、区道拡幅にともなう敷地のセットバック工事が行なわれました。

移設前の徳本名号塔セットバック部分に設置されている石造物「徳本名号塔」を敷地内でよく見える位置に移設しました。

この石造物群は、江戸時代に現在の都電荒川線・庚申塚駅付近の中山道沿いに建てられていたものです。江戸時代、巣鴨庚申塚付近に刑場があり、中山道近辺で行き倒れた人馬の共同墓地となっていました。その場所に、江戸時代の初めごろから延命地蔵が置かれていたと伝えられています。明治時代、現在の庚申塚駅の建設により、延命地蔵は現在の敷地に移動しました。

 

 

移設後の徳本名号塔今回、敷地内で移設の対象となった「徳本名号塔」は、文政11年(1828)正月に再建されたことが、下段の石の裏側に刻まれています。上段の石には、江戸時代の徳本というお坊さんの独特な筆跡による「南無阿弥陀仏」の名号と徳本の名前とサインが四方の面に刻まれていましたが、太平洋戦争による戦災により、彫られている文章の多くが読み取れないほど剝がれています。

徳本は、1800年代前半に諸国を行脚して、念仏を布教したお坊さんです。武士や庶民の支持を得て、全国各地に徳本念仏という念仏講ができました。徳本名号塔は、徳本の独特の書体を刻んだ名号塔で、近畿地方から関東地方にかけてあちこちに点在しています。多くの庶民が徳本に帰依していた様子がわかります。その教えは巣鴨にも広まっており、江戸時代後期の文政年間(1818~1830)、巣鴨地域では、徳本の教えに影響された庶民たちによる念仏講があったことが江戸時代の古記録に書かれています。江戸時代の巣鴨の住民による信仰の歴史を辿る手がかりとして重要なものでしょう。

 

 

 

お問い合わせ

庶務課文化財グループ

電話番号:03-3981-1190

更新日:2024年4月16日