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図書館通信第67号(2023年春号)テキスト版

巻頭言

「もっと、もっと、にぎやかに 明るい図書館の未来像」 株式会社河出書房新社取締役 YA出版会相談役 岡垣重男(おかがきしげお)

 昨年11月に大正大学で開催された座談会「にぎやかな図書館フォーラム」に参加したご縁で、この欄の執筆をさせていただいている。
 このイベントは、教授でもいらっしゃる大正大学附属図書館長の稲井達也さん、全国学校図書館協議会理事長の設楽敬一さん、豊島区立中央図書館長の倉本彩子さんがご出席された。つまり、大学図書館、小中高等学校図書館、公共図書館と、ほぼ全ての公的図書館の方が集まった大変珍しくも有意義なフォーラムであった。私は、もちろん出版界を代表するものではないが、中高生の読書を応援する有志出版社団体「YA出版会」の活動に注力してきたので、お呼びいただいたようだ。
 さて、参加者に共通するのは読書推進に間違いはないのだが、本を通じてどのようにして、人々の知的好奇心を惹きつけ満足させられるのか? ということであろう。かつて私の幼少時の図書館は、粛々と本を借り、静かに読書する場であった。本当の読書好き以外は、何か近寄りがたい雰囲気を醸し出していたように思う。
 しかし今や、学校図書館では総合学習の中心的役割を担う場として、公共図書館では生涯学習やコミュニティの交流の場として、さらに大学図書館では学生たちが積極的に意見交換できるような討論室を設置している所もある。各図書館では、新着図書やテーマ別図書にPOPやチラシなどを作成し、書店と見間違うかのような綺麗な飾り付けで利用者の目を引く。関係者のご尽力で、随分と図書館は明るく華やかになってきた。
 加えて、やや縦割りであった、大学、学校、公共図書館は横で手を繋ぎ、相互貸出しをはじめ様々な交流を行いつつある。確かにそれぞれは独立しているもののネット・ワークによる協業をするならば、俯瞰してみれば、知の大伽藍とも言うべき巨大な図書館ができることになる。
 ますます「にぎやか」になりそうな図書館に、出版社、本を送りだす立場からも、是非協力して一緒に盛り上げていきたい。

プロフィール
1965年(昭和40年)生まれ。河出書房新社取締役。中高生の読書推進団体「YA出版会」会長を務めた後、現相談役。

エッセイの愉しみ 全8回

第1回「随筆とエッセイ」作家(仙台文学館館長)佐伯一麦(さえきかずみ)

 仙台文学館で「トキワ荘」の作家山内ジョージ氏の特別展を行ったことがきっかけとなり、当図書館とのご縁が生まれ、当欄を執筆することになった。私自身、豊島区に住んでいた二十代の頃によく利用したので懐かしく、当時とは様変わりしたであろう現在の図書館の佇まいに思いを馳せている。
 さて、本欄では、仙台文学館ではエッセイ講座を開講して、受講生の皆さんにエッセイを読み、書くことの楽しみを伝えていることもあり、その一環を紹介したいと思う。まずはじめに、エッセイ(エッセー)とは何か、から。
 辞書で「エッセイ」を引くと、〈1 自由な形式で意見・感想などを述べた散文。随筆。随想。2 特定の主題について述べる試論。小論文。論説〉とある。そこで「随筆」を引くと、〈自己の見聞・体験・感想などを、筆に任せて自由な形式で書いた文章。随想。エッセー〉と記されている。日本語としてすっかり定着しているエッセイは、「自由に書かれた散文」として随筆と同義と取って差し支えないだろう。ちなみに、日本での随筆の起源とされるのは清少納言の『枕草子』だが、今ならエッセイと呼んでも違和感はない。
 ただし、厳密には、エッセイには辞書での2の意味合いもあり、それは十六世紀のフランスの哲学者でモラリストとして知られるモンテーニュの主著『エセー』に始まる「思考を試し、表現を試みる」試論という側面である。我が国でのそうしたエッセイズムの表現者としては、先年亡くなった古井由吉氏が挙げられる。
 昭和の初めに早大で随筆講座を開いた国文学者岩本素白は、〈随筆とは、本当にあった出来事の見聞や感想を自由に描いたもの。エッセイとは、出来事の描写ではなく、書き手のパーソナルな心の様子を描いたもの、告白的なものである〉と区別していた。そう思ってエッセイ講座に集まる文章を読むと、事実に即した寺田寅彦風な随筆的なものと、そこに空想や言葉の面白さなども加味した”心のノンフィクション”としての佐野洋子風のエッセイの味わいを持ったものとに傾向が分かれるようだ。

プロフィール

1959年(昭和34年)仙台市生まれ。電気工などの職業に就きながら、海燕新人賞を受賞してデビュー。『ア・ルース・ボーイ』で三島由紀夫賞を受賞した後、帰郷して作家活動に専念する。『鉄塔家族』で大佛次郎賞、『ノルゲ』で野間文芸賞などを受賞。ほかに、エッセイ集『からっぽを充たす』『月を見あげて』など著書多数。2020年(令和2年)より仙台文学館館長。

本号から佐伯一麦さんの巻頭随筆連載(全8回)が始まりました。

図書館と私

私が考えるにぎやかな公共図書館 第1回「にぎやかな図書館の可能性」 大正大学附属図書館 林恵理(はやしえり)

 私の記憶の中で、初めて公共図書館を利用したのは、幼稚園の頃だったでしょうか。母親に手をひかれながら、急な坂道を一生懸命に歩いたことを覚えています。文字通り「峠を越えた」先にある見晴らしのいい(よく晴れた日は、富士山がキレイに見えました)図書館で、さまざまな本と出会うことが、当時の楽しみでした。幼心にも「図書館は静かに本を読む場所」といったイメージがありましたが、現代の公共図書館、とりわけ豊島区立図書館は少し異なります。
 昨年11月、本学附属図書館と豊島区立図書館がタッグを組み、区制施行90周年記念事業の一環として「にぎやかな図書館祭フェス」を開催しました。このイベントは、「にぎやかな公共図書館」を掲げ、「図書館を外に開いていこう」と取り組まれている豊島区立図書館と、「多くの人が集い、学び合う場所。サードプレイスとしての図書館」を目指している私どもの想いが合致し、実現の運びとなりました。児童対象の図書館探検、SDGsや読書を身近に感じてもらうためのワークショップ、豊島区立図書館の司書の方によるおはなし会、「本を通して“人”がつながる」をテーマにした座談会など、多くの企画を実施しました。期間中は老若男女問わず、延べ600名近くの方にご参加いただきました。当館は2020年11月にグランドオープンしたのですが、今回ようやく地域の皆様に新しい図書館をお披露目することができました。職員一同、非常に嬉しく思っています。
 「にぎやかな」という言葉は、あらゆる受け取り方ができると思います。今回の「にぎやかな図書館祭フェス」で印象的だったのは、お互いを認め合いながら、それぞれの目的にあった図書館を活用している利用者の姿です。このイベントを通じて、あらゆる世代の方に利用いただくことも、ある意味「にぎやか」を体現しているな、と感じました。現在、新型コロナウイルスの状況に鑑み、全面開放ができていない当館ですが、豊島区立図書館のような「にぎやかな」図書館となれるよう、引き続きさまざまな取組に挑戦していきたいと思っています。

プロフィール

大正大学人間学部卒業後、2012年(平成24年)に学校法人大正大学に入職。法人業務、秘書、総務、入試担当を経て、2020年(令和2年)9月より現職。

生涯の一冊『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』岸見一郎・古賀史健著 ダイヤモンド社 2013年

幸せな人生を送るために必要な「課題の分離」について みらい館大明ブックカフェコーディネーター 緑川裕也(みどりかわゆうや)

 今回『嫌われる勇気』を「感銘を受けた本、生涯の友といえる本」として紹介します。この本は200万部を超えた大ベストセラー本となりましたが、幸福になるための哲学として認知度の高い「アドラー心理学」が用いられています。
 この本が世間で話題になっていたので、気になって読んでみましたが、人生を豊かにするような内容が書かれていて、夢中になりあっという間に読み終わってしまいました。書かれていた内容としては、どうすれば自由で幸せな人生を送ることができるのかという事でした。
 アドラーが言うには、人は誰でも、今すぐ幸せになれるそうです。世界というのはシンプルなものでしょうか?複雑なものでしょうか?
 この問いに絶対的な答えはありません。どう感じているか、どう決めるかでどちらも正解になります。幸せも同じで今、幸せと感じられるかどうかが重要です。アドラー心理学の重要なポイントは「課題の分離」と「目的論」。2つの共通点は、考え方の中心が自分であるという哲学です。世界の事を決めるのも「自分」、周囲の人の事を決めるのも「自分」、幸せかどうかを決めるのも「自分」です。
 「課題の分離」とは、他人の課題と自分の課題を分離し、相互に介入しない事です。これには2つあり、他人の課題に介入しない事と、自分の課題に介入させない事です。他人の課題に介入しないというのは、例えば子供が勉強しないとします。無理に勉強させようとすると、子供は反発し、いやいや勉強したとしても何も身につきません。親は強制せず、勉強するように勇気づける事だけが出来ます。このような場合、勉強するかどうかは子供の課題で、自分の課題は子供を信じ、勇気づける事です。
 あらゆる対人関係のトラブルは、相互の課題に踏み込む事によって起きると考え、この「課題の分離」はアドラー心理学ならではの視点です。自分はブックカフェという若い方が利用する場所で働いていますが、この本を読んで学ぶことが多いです。

プロフィール

ブックカフェでは、オンライン書評合戦「バーチャルビブリオバトル」やイラスト好きがお題に合わせてイラストを発表・講評し合う会「イラストーク」を主に行う。また、10 ~ 20代の若手映像作家を支援する「池袋みらい国際映画祭」の実行委員も担当。

みらい館大明ブックカフェは豊島区若者学びあい事業の一環として、豊島区とNPO法人いけぶくろ大明が協働実施。

この本カフェ

寄稿者はとしまコミュニティ大学の内、登録して学んでいる「マナビト生」です。マナビトゼミ担当・当中央図書館開催の書評講座講師の佐藤壮広氏の監修のもと、毎回テーマに合わせて文学、児童書、科学や評論などの分野のお薦め本を紹介しています。

31杯目「図書館」

本一冊一冊はそれぞれひとつの世界で、何万ものそれらの世界が集まった図書館は、街のワンダーランドです。巷でカフェ併設の書店も出てくる中、くつろげるカフェのある公立図書館が増えるといいな。ワンダーランド感もアップします。

 

書名『図書館奇譚』村上春樹著 新潮社 2014年11月

 貸出し禁止の本を読むために、市立図書館を訪れた少年。そこで案内された読書室は、迷路を辿った先の暗闇の地下牢だった。少年は、やさしい羊男の看守に美味な料理を供されながら、本を暗記していく。知識の詰まった脳味噌は、吸い尽くされるとか。少年は自在に本の中の人物になり代わり、出会った美少女に逃走をすすめられる。柳の枝を鞭にする恐ろしい老人が眠る新月の夜、少年は羊男と脱走を決行する。図書館は、人をあらゆる世界に誘う場。不思議な図書館のお話しです。【内田美津子(うちだみつこ)】

書名『トップランナーの図書館活用術才能を引き出した情報空間』岡部晋典/著 勉誠出版 2017年7月

 著名人12名のインタビュー集です。親が子ども扱いしなかったので、小学1年生の清水亮は中学生向けの本を読み3Dプログラミングを習得した。『バッタを倒しにアフリカへ』の著者、前野ウルド浩太郎は、昆虫図鑑を見て謎を解明したくてバッタ博士になった。また結城浩の『数学ガール』は、高校時代の図書館を舞台にキャラクターが勝手に動きだすのを描写した作品とのこと。図書館を切口に、本と仕事との関わりを紹介した興味深い本です。【 辻 秀幸( つじ ひでゆき)】

書名『図書館の魔女』高田大介/著 講談社文庫

 その少女は高い塔にいる。そこで本を読んでいる。あらゆる本を。そこに一人の少年が訪ねてくる。彼女を護るために…。そこから物語は始まる。少女は本から得た知識を使い、国が抱える危機と向き合うことになる。少女は、点から線へ、そして面として課題を捉え、解決する。その過程が非常に愉しく、興味深い。言葉の意味が物語の鍵。本全体のそれらの言葉を可能な限り丁寧に追い続けると、不意に視界が開かれ、物語の奥行きがズンと深くなります。【 西巻 武英( にしまき たけひで)】

古典文学講座「源氏物語と仏教」全4回

 一度はどこかで触れたことがある『源氏物語』。あなたは、いつ・どこで出会いましたか?
「仏教」の視点から『源氏物語』を読み解く中央図書館の古典文学講座を開催してきた講師が、あらゆる世代が物語を愉しめる方法をお届けします。もう一度、世界文学の奇跡とも言われる54帖を手にとってみてはいかがですか?全4回の連載です。

第1回「源氏物語を読む際の心得」大正大学名誉教授 大場朗(おおばあきら)

 「源氏物語と仏教」を担当している大場です。源氏物語を読もうとする皆さんに二つのことを提案したいと思います。一つは、源氏物語は千年前に成立した物語であるということです。私たちはこのことをうかつにも忘れて、源氏物語を現代に引き寄せて解釈しているのではないでしょうか。そういう私も「千年飛び越え読み」をして、それではいけないと自分に言い聞かせていることがしばしばあります。千年という期間にはさまざまな変化があったことが想像されます。具体的には、言葉、価値観、社会制度、思想、信仰、風俗などです。したがって、源氏を読むときには、当時の社会の中に物語を置いて、その中で読むことが求められます。例えば、女性美(美的価値観)です。髪が長く、引目鉤鼻で、小柄でぽっちゃりした女性が美人の典型とされました。現代とは真逆といえましょう。因みに、源氏物語のマンガ「あさきゆめみし」(大和和紀)は、現代の美人で表現されています。このように現代との相違を理解した上で読み進めることが大事になります。それでは千年前の平安時代を理解するにはどのようにすればよいか。とりあえず、源氏物語の入門書を手にしてはいかがでしょうか。私は池田亀鑑の『平安朝の生活と文学』(角川文庫)をお薦めします。二つめは現代語訳を系図やあらすじを参考にしながら読んでいただきたいということです。できれば気に入った巻やくだりを複数の現代語訳で比較しながら読んでみることをお薦めします。現代語訳には学術的な背景を踏まえたものから、作家の豊かな想像に基づく個性ある解釈まであります。大きな図書館には複数の現代語訳があると思いますので、気に入った作家の現代語訳を読んでみてください。五巻めの「若紫巻」か二巻めの「帚木」の雨夜の品定め(源氏物語の女性論)あたりが興味深く読めるのではないかと思います。「世界文学の奇跡」(島内景二『源氏物語ものがたり』新潮新書)といわれる源氏物語は、多くの人々を虜にして八百年もの昔から研究され、現在も継続中です。平成七年のデータでは、一年間の源氏物語の単行書は五十冊、研究論文は三百編以上(AERA Mook「源氏物語がわかる。」朝日新聞社)となっています。研究は日々進んでおり、現代語訳はその成果を踏まえたものとなっています。未詳の部分もかなり多いですが、信憑性の高い訳になっているといえましょう。とりあえず現代語訳を薦める所以はここにあります。源氏物語へのアプローチの方法は人によってさまざまです。自分に合った読み方をするのが一番で、正しい読み方というものはありません。おいしいリンゴを味わうにはまず食べてみなくては始まりません。まずは手に取って読んでみましょう。源氏物語は読み手の取り組み方の度合いに応じて答えてくれる奇跡の作品です。最寄りの図書館をちょっとのぞいてみましょう。
※ 本文中の「池田亀鑑の『平安朝の生活と文学』(角川文庫)」については、豊島区立図書館では、復刊版の『平安朝の生活と文学』池田亀艦/著 ちくま学芸文庫を所蔵しています。

プロフィール

大正大学名誉教授、日本文学科非常勤講師。 博士(文学)、専門分野は中古・中世文学と仏教思想の関係。特に源氏物語・宝物集・西行などを研究している。大正大学オープンカレッジ、朝日カルチャーセンター横浜、茨城県弘道館アカデミー県民大学などの講師をつとめる。

文学講座「読んで観る!映像・舞台原作の世界」全4回

「本」と「映像」あなたは、どちらを先に手にとりますか?
劇場と一体化した文化発信拠点である中央図書館では、映像や舞台作品と、それらの原作の世界を所蔵本とともに親しむ講座を開催してきました。今年はそれを「文字」でお届けします。全4回の連載です。

第1回「本と劇場を往還する」立教大学江戸川乱歩記念大衆文化研究センター助教 後藤隆基(ごとうりゅうき)

 早川書房が刊行している「ハヤカワ演劇文庫」というシリーズをご存じだろうか。一般的にはミステリやSF で知られる同社が、なぜ演劇? とおもわれる向きもあるかもしれない。しかし早川書房という出版社は、演劇青年だった創業者、早川清の「自由に本が読みたい」という決意のもと、1945年8月15日に設立された。社史の端緒は、演劇書によってひらかれ、今も続く演劇雑誌『悲劇喜劇』が核にあるのだ。演劇雑誌は絶滅危惧種となってしまった現在、一定の諸ジャンルを網羅的にとりあげる雑誌としては最後の砦ともいうべき『悲劇喜劇』を出し続けているのも、創業時の志を守り、つないでいるからに他ならない。
 そんな早川書房が2006年に創刊したのが、日本最初の演劇専門文庫「ハヤカワ演劇文庫」である。記念すべき1 冊目は、アメリカ演劇の不朽の名作として名高い、アーサー・ミラー作『セールスマンの死』(倉橋健訳)だった。以来、これまで16 年にわたり国内外のさまざまな戯曲を世に送り出してきた。2022年には、松田正隆の傑作三篇を収めた『松田正隆1 夏の砂の上/坂の上の家/蝶のやうな私の郷愁』で52冊となった。堂々たる文庫シリーズである。戯曲が出版されるということも、演劇雑誌同様、貴重である。
 その謳い文句は「本を読んだら劇場へ、舞台を観たら本を手に」――。戯曲というジャンルは、小説に較べて、慣れないと読みにくい部分もあるかもしれない。しかし、本と劇場を往還しながら、読書と観劇という行為を双方向的にたのしむ。そうした体験ができるといいとおもった。
 ことは演劇にかぎらない。映画やテレビドラマ、アニメを観て、好きな小説や漫画などが映像作品になったとき、ストーリーや登場人物など、原作の世界がどのように忠実に表現されているかを比べながら観る人も多いだろう。かつて角川映画が「読んでから見るか、見てから読むか」というキャッチコピーで、文庫と映画のメディアミックスを展開していたことを思い出す方もおられるに違いない。
 2017年度から2022 年度まで、豊島区立中央図書館の文学講座「読んで観る!映像・舞台原作の世界」を担当する機会をいただいた。ご縁あってお声がけいただき、どんな講座にするかの打ち合わせの席上で、ハヤカワ演劇文庫や角川映画のことが脳裡をかすめた。すぐに方針が決まったのを憶えている。
 いらい数年間、私の勝手気儘な企画とおしゃべりに辛抱強くお付き合いいただいた図書館の皆さま、受講者の皆さまには感謝のほかない。それまで読んだことのない作家や作品もとりあげ、私自身、新たな本や映像・舞台作品に出会えた。物語は日常のそこかしこに転がっていると、改めて気づかされた。
 ちなみに――。私が初めて戯曲を読み、その舞台を観たのは2001年。井上ひさしの戯曲を上演する劇団こまつ座の『闇に咲く花』だった。新宿の紀伊國屋ホールを出て、どうしても戯曲を読んでみたくなり、神保町の古本屋に走った。あの衝動は、今でもふと心にあらわれる。劇場からの帰り道、あるいは本を読み終えた余韻のなかで。

プロフィール

立教大学江戸川乱歩記念大衆文化研究センター助教。1981 年(昭和56 年)静岡県生まれ。立教大学大学院文学研究科日本文学専攻博士後期課程修了。博士(文学)。専門は近現代日本演劇・文学・文化。著書に『高安月郊研究――明治期京阪演劇の革新者』(晃洋書房、2018)、編著に『ロスト・イン・パンデミック――失われた演劇と新たな表現の地平』(春陽堂書店、2021)、『小劇場演劇とは何か』(ひつじ書房、2022)など。

世界探訪 食と本と旅と 全4回

「食」・「本」・「旅」この3つのきりくちで、世界を旅してきたマンガ家のエッセイを全4回にわたってお届けします。
各国の食を探求し続けた先に出会ったものは…。そしてそこには必ず「本」が。

第1回「レシピの中に人生がある」食を旅するイラストレーター/マンガ家 織田博子(おだひろこ)

 25 歳の時に、念願のユーラシア大陸一人旅をしようと思った。1 年かけて各地を回り、自分の知らない世界を見てみたかった。
 小さな日本を飛び出して、世界にふれてみたい。
 そんな時に、『おばあちゃんのお茶うけ 信州の漬物• おやつ• 郷土料理』を読んだ。信州では、お茶に「お茶うけ」と呼ばれる漬物、おやつ、郷土料理が添えられるのだとか。「ピーナッツの味噌炒め」「ネマガリダケの味噌汁」など、地味で懐かしい料理の写真が並ぶ。
 その写真に添えられているのは、おばあちゃん達の人生や料理を作っている様子を伝える愛情たっぷりのレポート。
 たとえばこんな文章がある。「お嬢様として生まれて地主に嫁いだ矢先に農地解放で地主制度が終わってしまった。ヌルヌルした田んぼが恐かったけど農家の仕事を始めた」。そしてそんなおばあちゃんが庭の木になる杏で作るジャムや瓶詰め。ジャムはヨーグルトに添える。
 その土地の匂いやその人の生き様が、お茶うけのレシピに色濃く残っている。一皿のお茶うけに、信州の土地とおばあちゃんの人生が凝縮されている。
 「小さな日本」なんて言ってた自分が恥ずかしくなるような、広大な世界が一つのお茶うけのお皿の上にあった。
 「昔はどこの田んぼでも飼っていたフナをとってきて洗って鍋に入れ、醤油をして息絶えるまで蓋をして1 時間置いておく」。たった3 行のレシピの中に、私の貧弱な知識とアパートのキッチンではとうてい実現できない濃厚な世界がある。
 この本を読んだ体験が、「世界の人々に家庭料理の作り方を聞いたら面白い」というアイディアに結びついた。それから13年、私は今も「世界家庭料理の旅」と題して、各国の家庭料理を訪問し続けている。バングラデシュの湖の水をぜんぶ抜いて採った魚で作ったカレー、米の石を取りながらおしゃべりする人たちに囲まれて作ったウズベキスタンのプロフ、朝一番に市場で買ってきた食材でハルチョーを作るロシアのおじいちゃん…。
 どの場所でも、レシピには人生がつまっていた。

プロフィール
駒込在住。現地の空気感あふれるイラストやマンガが特徴。世界のおばちゃんやおじちゃん、家庭料理を描いています。著作『世界家庭料理の旅』(イースト・プレス)他多数。

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電話番号:03-3983-7861

更新日:2023年4月1日