ホーム > 文化・観光・スポーツ > 生涯学習 > 図書館 > 刊行物・図書館 > 図書館通信 > 図書館通信第69号(2023年秋号)テキスト版

ここから本文です。

図書館通信第69号(2023年秋号)テキスト版

巻頭言

「子どもたちの豊かな読書活動のために」豊島区教育部長 澤田健(さわだけん)

 子どもの読書活動は、子どもが言葉を学び、感性を磨き、表現力を高め、創造力を豊かなものにし、人生をより深く生きる力を身に付けていく上で欠くことのできないものです。
 豊島区では、令和4年3月に「子ども読書活動推進計画(第四次)」を策定し、発達段階に応じた読書機会の提供と読書環境の整備を行っています。また、教育
委員会でも、「豊島区教育ビジョン2019(令和元年9月)」において、学校図書館の充実を施策に掲げ、子どもの読書習慣を確立し、本に親しんでいくことを目
標としてきました。
 令和4年度の全国学力・学習状況調査における意識調査の結果によると、「学校の授業以外で、1日当たりどのくらい読書をしますか」の設問に対して、「10
分以上」と回答したのは、本区の小学校6年生では約67%、中学校3年生では約55%に留まっています。これは全国的にも同じ傾向となっており、子どもの読書活動を一層充実させていくことが必要と考えます。
 教育委員会では、令和4・5年度、清和小学校を研究開発指定校として、学校と地域図書館が連携し、子どもたちの読書活動を充実させ、情報活用能力を育成
する研究を推進しています。令和4年度は、区立図書館司書を派遣していただいたり、巣鴨図書館で利用できる独自の「読書ノート」を作成していただいたりし
たことにより、子どもたちの図書館への興味・関心を高めることができました。また、団体貸出セットの優先貸出を行っていただいたことにより、令和3年度は
10件だった利用数が、令和4年度には146件となり、子どもたちが新たな本と出会う機会を創出することにつながりました。今秋10月には清和小学校が研究
発表会を行い、これらの取り組みを全校に周知していく予定です。
 本事業を契機として、今後も全ての学校において子どもたちが生涯にわたる読書習慣を身に付け、豊かな生活を送ることができるよう、引き続き読書活動を推進してまいります。

プロフィール
平成4年4月 豊島区採用、平成22年4月 特別区人事・厚生事務組合 人事企画部調査課長(自治法派遣)、平成25年4月 区民部国民健康保険課長、平成27年4月 特別区人事委員会事務局 任用課長(自治法派遣)、平成28年4月 総務部人事課長、平成30年4月 政策経営部企画課長、令和2年4月 子ども家庭部長、令和4年5月より現職

エッセイの愉しみ 全8回

第3回「推敲について」作家(仙台文学館館長)佐伯一麦(さえきかずみ)

 仙台文学館で行っているエッセイ講座では、少しぐらい文章の乱れがあっても、その人ならではの経験や観察が活かされたエッセイを、という思いから、基本的に添削指導は行っていない。文章について触れるときには、参加者たちが自身で推敲するときの参考になれば、という思いで指摘するようにしている。
 推敲は、故事成語といわれる中国の古典から生まれた言葉である。唐の詩人に賈島(かとう)がおり、彼の知られている詩句に〈鳥は宿る 池辺の樹 僧は敲く 月下の門〉がある。この、「敲く」の箇所は、最初は「推す」だった。賈島はどちらにするか迷った挙げ句、都の長安の大官であり著名な詩人でもあった韓愈に問い、「敲く」に改めた。
 確かに、月光の下の情景としては、門を叩く音が冴え冴えと響く「敲く」がふさわしく、より効果的に思える。しかし、草庵のようなものを想い描けば、戸を推して、ギーッと戸が軋む音が聞こえてくる、というのもなかなか渋くて、捨てがたい。
 このように、文章というものは、書き手の実感というものが何よりも大事であり、いったん「敲く」に改めたものの、さらに自分で推敲(この場合は「敲推」というべきか)した末に、「推す」に戻すこともあってよい。
 私見では、小説になるが、推敲の極致といえるのは川端康成の『雪国』。昭和10年から12年にかけて文芸誌に分載発表され、いったん単行本化されるが、さらに戦後に『続雪国』として加筆されて、約13年かかって現在私たちが読む『雪国』の原型となった。その間、多くの推敲が加えられ、一例を挙げれば、〈国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。〉という名高い冒頭は、短篇での初出時には、〈濡れた髪を指でさはつた。――その触感をなによりも覚えてゐる、〉だった。
 川端は、ノーベル賞受賞後も推敲を重ね、死の1年前の昭和46年に『定本 雪国』が出て決定版となった。そして、さらに死後、書斎から毛筆で抄録をしたためた遺稿『雪国抄』が見つかったのである。

プロフィール

1959年(昭和34年)仙台市生まれ。電気工などの職業に就きながら、海燕新人賞を受賞してデビュー。『ア・ルース・ボーイ』で三島由紀夫賞を受賞した後、帰郷して作家活動に専念する。『鉄塔家族』で大佛次郎賞、『ノルゲ』で野間文芸賞などを受賞。ほかに、エッセイ集『からっぽを充たす』『月を見あげて』など著書多数。2020年(令和2年)より仙台文学館館長。

図書館と私

私が考えるにぎやかな公共図書館 第3回「博物館と図書館で学ぶ古代オリエントの世界」古代オリエント博物館 教育普及員 髙見妙(たかみたえ)

 豊島区立中央図書館の書棚の一角に、古代オリエント博物館と記載された図書コーナーがあることをご存知でしょうか。2021年度より始まったこちらの図書
コーナーでは、当館の館蔵品展や特別展の内容に関連する図書を紹介いただいています。選書は図書館司書の方々と古代オリエント博物館研究員が共同で行っ
ており、時には研究員のおすすめの図書も並んでいます。当館は敷地面積が1,392平方メートルほどの小さなミュージアムですので、多くの博物館・美術館にあるような来館者がいつでも自由に閲覧できる図書スペースは有していません。そのため、歩いて数分の場所に位置する豊島区立中央図書館の古代オリエント図書コーナーは、博物館帰りの人やこれから博物館を訪問する人の「もっと知りたい」という意欲に応えてくれる場所になっています。実際に古代オリエント博物館の来館者の中には、「子どもの夏休みの自由研究のために豊島区立中央図書館の図書コーナーにも行った(これから行って調べる)」という方もいらっしゃいました。博物館と図書館それぞれの所蔵する資料と機能を活かした学習の機会を、相互連携によってより効果的に提供できるよう、今後も図書館職員の皆様と協力して進めてまいりたいと思います。
 さて、秋の特別展「おまもりとハンコとコイン−古代オリエントの偉大なる小さきものたち−」では、古代エジプトのおまもり(スカラベや護符)、メソポタミアのハンコ(円筒印章やスタンプ印章)、そして古代オリエントに生まれたコインなどが並びます。小さな工芸品ではありますが、その一つ一つに膨大な情報が詰まっている資料ばかりです。図書コーナーでは、そんな魅力的な展示資料にまつわる図書をご紹介できればと当館研究員も考えておりますので、この秋はぜひ、古代オリエント博物館と豊島区立中央図書館に足をお運びください。

プロフィール

専門は博物館教育。2018年度より教育普及員として着任。小、中学生を対象とした教育プログラムの実践を行う。

生涯の一冊『かいけつゾロリのじごくりょこう』原ゆたか/作・絵 ポプラ社 2002年

「絵本と小説の架け橋になった本」豊島区立巣鴨小学校5年 鍜治倉夕那(かじくらゆうな)

 私がこの話を頂いた時、生涯の一冊についてすごく悩みました。なぜならば、私はマンガや図鑑、小説、図録など様々なものを読むのが好きだからです。ですが、私の本棚を眺めていた時にふと「そういえば『かいけつゾロリ』シリーズは大好きでよく集めていたな~」と思い出しました。
 私は一歳の誕生月に豊島区から絵本『ももんちゃん』を頂き、お母さんが読み聞かせ方法を教わってから絵本が大好きになり、外出が苦手だった幼少期には一日20冊以上の絵本を読んでもらい、図書館にもひんぱんに通っていたそうです。そして、何度も読みたいお気に入りの本を見つけると購入し、私の本棚に納品されました。このお気に入りがたくさん詰まった私の本棚に多く収まっているのが『かいけつゾロリ』シリーズです。
 『かいけつゾロリ』シリーズは私が幼稚園時代に繰り返し読んでもらっていました。丁度私の中で絵本では物足りなくなってきた時にお母さんが提案してくれ、読んでもらうととても面白かったです。絵本は絵が多く言葉が少なめですが、『かいけつゾロリ』シリーズは絵も多くて言葉も多いので、絵本から小説へ移行するのにちょうどいい作品だったと思います。ストーリーの中で展開されるおやじギャグにクスッと笑ったり、ちょっと下品なところが面白かったり、それを注意書きする作者の原ゆたかさんの登場も面白いうえ、ハラハラドキドキの大冒険や、え~そうだったの?というクライマックスにワクワクが止まらなかったことを覚えています。
 その後私は小説にハマり、最近は『かいけつゾロリ』シリーズを読んでいないのですが、六歳年下の弟が今まさに『かいけつゾロリ』シリーズにハマっていて、毎日お母さんに読んでもらっています。

 それを考えると、私も将来子どもを産んだら読み聞かせてあげたいな、と思い、この『かいけつゾロリ』シリーズを生涯の一冊に選びました。

プロフィール

2022年度「調べる学習コンクールinとしま」で豊島区長賞を受賞。なんにでも興味があり、週末は家族で美術館や博物館、科学館に訪れることが多い。最近は父への憧れから篠笛を練習中。

この本カフェ

寄稿者はとしまコミュニティ大学に登録して学んでいる「マナビト生」です。マナビトゼミ担当講師の佐藤壮広氏の監修のもと、毎回テーマに合わせて小説などの文学作品、絵本などの児童書、評論、実用書、エッセイ、科学に関する読み物などさまざまな分野のお薦め本を紹介しています。ぜひ図書館で借りて読んでみてください。

33杯目「つながる」

 ヒトは、手を取り合って、声をかけ合って、祈り合って、助け合って、つながりながら生きる社会的動物だ。ほかの動物や植物とも交流する能力もある。孤立、隔離、分断、分離などが深刻な社会課題となる昨今、つながりを生み出す思考と実践が求められる。

 

書名『バスが来ましたよ』由美村嬉々/著 松本春野/絵 アリス館 2022年6月

 視力を失った男性が、それでも仕事を続けようと職場に向かうバスを待っていると、「バスが来ましたよ」と、かわいい女の子の声が。女の子は、バスの乗り降りも手伝ってくれます。
 そんなやり取りの嬉しい日が続いていたある日、男性は、「バスが来ましたよ」の声が違うことに気づきます。子どもたちに受け継がれていく思いやりのつながりバトン。優しさに支えられ、勇気づく男性の気持ちがパステル画の絵の中に染み込んでいって、読み手の心も温まります。【笠原 雅子(かさはら まさこ)】

 

書名『困ってるひと』大野更紗/著 ポプラ社/ポプラ文庫 2012年6月

 「二年前のわたしは誰の痛みもわからなかった。何も知らなかった。今は少しだけわかるよ。人が生きることの、軽さも、重さも、弱さも、おかしさも、いとしさも。ここからすべての始まり。さあ、生きよう。語ろう」。皮膚筋炎と筋膜炎脂肪織炎症候群という難病を抱えて生きる著者は、本書の中で自身をそう鼓舞しています。入院する病院が見つかるまでに1年間、それからさらに9ヶ月間の治療生活が続きます。病院では、主治医、専門医、病院スタッフ、支援を心よく引き受けてくれた友達など、多くの人に支えられ生かされてきました。
 つながる事の大切さを伝えてくれる一冊です。皆さま、「困っている人」には、やさしい声かけ、心遣いをお願いします。【清水 悦子(しみず えつこ)】

 

書名『旅猫リポート』有川浩/著 講談社/講談社文庫 2017年2月

 地域猫だったナナは、サトルと共に旅をします。サトルが小学校、中学校、高校時代の旧友に会う各地で、ナナは気ままに交流します。
 ナナがサトルの旅の目的を知った頃、サトルはもう、病室から出られず、そのまま亡くなってしまいます。
 ただ、サトルは、ナナに自分の旧友との縁を残してくれました。ナナとサトルの一見気ままな旅は、サトルの思惑とは違う形で成就したのです。
 サトルのお葬式の日。ナナはサトルの旧友たちと触れ合い、サトルとの楽しい思い出に浸ります。そして、その絆とともに、ナナはその後の日々を過ごすのでした。【西巻 武英(にしまき たけひで)】

古典文学講座「源氏物語と仏教」全4回

一度はどこかで触れたことがある『源氏物語』。あなたは、いつ・どこで出会いましたか?
「仏教」の視点から『源氏物語』を読み解く中央図書館の古典文学講座を開催してきた講師が、あらゆる世代が物語を愉しめる方法をお届けします。もう一度、世界文学の奇跡とも言われる54帖を手にとってみてはいかがですか?全4回の連載です。

第3回「登場人物の造型と仏教」大正大学名誉教授 大場朗(おおばあきら)

 今回は登場人物の造型に関わった仏教思想・教理について私見を述べたいと思います。
 仏教の思想や教理を背景に持つ登場人物は複数指摘することができます。中でも末摘花は実に興味深いものがあります。末摘花は世間離れした性格でその容姿
も並外れて醜い女性として登場します。しかし、作者紫式部はその末摘花を仏教の思想信仰や教理を巧妙に援用して人物造型をしていきます。さっそくその手法
を見てみましょう。
 場面は、光源氏が末摘花邸を久しぶりに訪れて一夜を過ごし、早朝の雪明かりの中で彼女を見たときの描写です。体型は実に胴長で、鼻はまるで普賢菩薩が乗っている白象のように長くのびてたれさがり、その先端が赤く色づいている。紅花の異称である末摘花の呼び名もそこから出てくるのであるが、彼女の紹介はさらに続き、顔は雪よりも白く真青で、額は大変広く、顔の下半分は恐ろしく長い。こればかりではなく痩せこけた肩骨が着物の上からはっきりと見て取れると、散々な書き方である。
 この後も彼女が身につけている着物の異様さに筆が及ぶのであるが、あとは皆さんで読んで頂くことにして、ここで注目したいことがあります。それは彼女の
鼻を普賢菩薩が乗っている白象の鼻に喩えていることです。現在も白象に乗る普賢菩薩像の絵画は残されているので、仏像・仏画等の写真集で確認できます。そ
れによれば、確かに白象の鼻の先端に赤い華を持っているのが看取できます。恐らく当時の源氏の読者たちは、各種法会の際に、寺院などの仏画で見ていたもの
と推察されます。
 さて、ここでなぜ普賢菩薩が乗っている白象を持ち出して、末摘花の鼻に喩えたかが問題となってきます。どうやらこの比喩の裏には、作者の仏教思想を利用
したイメージ戦略があるように思われます。
 それは、普賢菩薩が乗った白象の話が、『法華経』の結経(法華経の結びの経典)である『観普賢菩薩行法経』に載っているからです。この経典は顕教においても密教においても教理的に重視されていて、紫式部はその点を理解した上で、普賢菩薩を守護する大きな白象を末摘花に喩え、その上に乗る普賢菩薩を源氏に喩えているのです。
 さらに教理的に重要なのは、この経典が「毘盧遮那仏(大日如来)」と「釈迦牟尼仏」とが同じであると説いていることです。加えて密教では、「毘盧遮那仏」は「普賢菩薩」と同体と説くので、白象が乗せているのは釈迦牟尼仏、毘盧遮那仏に通じていくことになります。紫式部はこの教理を利用しながら、末摘花を白象に、源氏を釈迦牟尼仏(あるいは毘盧遮那仏)に喩えて、それを物語の展開に利用したといえましょう。従って、末摘花は、仏敵から釈迦を守護する白象のように、源氏を外敵(政敵)から守るイメージを持つように人物造型されたことになります。
 以上のように「普賢菩薩の乗り物である白象の赤い鼻」という表現の背後には物語展開上の重要なファクターが埋め込まれていたといえましょう。

プロフィール

大正大学名誉教授、日本文学科非常勤講師。博士(文学)、専門分野は中古・中世文学と仏教思想の関係。特に源氏物語・宝物集・西行などを研究している。大正大学オープンカレッジ、朝日カルチャーセンター横浜、茨城県弘道館アカデミー県民大学などの講師をつとめる。

文学講座「読んで観る!映像・舞台原作の世界」全4回

「本」と「映像」あなたは、どちらを先に手にとりますか?
劇場と一体化した文化発信拠点である中央図書館では、映像や舞台作品と、それらの原作の世界を所蔵本とともに親しむ講座を開催してきました。今年はそれを「文字」でお届けします。全4回の連載です。

第3回「泉鏡花と喜多村緑郎」立教大学江戸川乱歩記念大衆文化研究センター助教 後藤隆基(ごとうりゅうき)

 島村抱月の墓がなくなった――。6月25日付『東京新聞』に目を通していたら、衝撃的な記事をみつけた。
 島村抱月は、明治・大正期を代表する文芸評論家で演出家。坪内逍遙に師事して新しい演劇運動を実践し、やがて女優の松井須磨子と芸術座を旗揚げする。しかし、世界的猛威をふるったスペインかぜに感染し、1918年11月5日に死去。愛人関係にあった須磨子が、その二か月後に後を追って縊死したことも話題となった。
 抱月は雑司ケ谷霊園に眠っていたが、記事によれば、人知れずその墓が更地になっていた。管理の難しさからご遺族が「墓じまい」をしたとの由(なお、島根
県浜田市の浄光寺に分骨墓地があるという)。昨今ご事情はそれぞれだから致し方ないが、墓所の文化史的記念碑としての意味を思うと、残念ではある。
 抱月の他にも、夏目漱石や竹久夢二など、著名な文化人が数多く眠る雑司ケ谷霊園。今回は、この場所に縁のある作家と俳優を紹介したい。
 一人目は作家の泉鏡花。明治時代に新派俳優として名を馳せた川上音二郎が、1895(明治28)年12月、鏡花の新聞連載小説『義血侠血』と『予備兵』を綯
い交ぜにし、『滝の白糸』と題して浅草座で無断上演したのが、鏡花作品が舞台化された最初である。ところが、鏡花の師である尾崎紅葉から抗議を受け、川上
は新聞に謝罪広告を出した。これが宣伝上手な川上のやり方で、一層話題を集めたという。鏡花の小説は以降、主に新派というジャンルによって劇化が盛んにおこなわれた。大正期に入ると『日本橋』『婦系図』などを鏡花自ら脚色し、さらに『夜叉ケ池』『天守物語』『海神別荘』などの幻想的な怪奇物の戯曲などを執筆した。
 もう一人の喜多村緑郎は、川上音二郎と同時代の俳優で、明治から昭和にいたるまで新派を牽引し、鏡花が描いた女性を演じ続けた女方。“鏡花もの”を新派
の代表的演目にした名優であり、鏡花自身と交流の深かった盟友でもある。
 この二人が揃って雑司ケ谷霊園にいるのも不思議な縁といえよう。
 現在、鏡花の小説や戯曲は気軽に文庫で読むことができるが、その幻想的な世界を舞台や映画で体現したのが、歌舞伎俳優の坂東玉三郎である。ひとつ例を挙げるなら、篠田正浩監督の『夜叉ヶ池』(1979年公開)だろうか。篠田はその「演出ノート」にこう記している。
 「泉鏡花の『夜叉ケ池』ほど妖しい魅力をたたえた世界はない。普通の女では表現が不可能な美しさが求められている。/女形・坂東玉三郎は、その芸、その美しさにおいて現代の奇蹟である。『夜叉ケ池』はようやくその人を得て、今、美の洪水を起こそうとしている」
 玉三郎は、若い時分には新派の舞台でたびたび主演し、往年の新派俳優たちのきめ細かい教えを受けた。新派という世界が、彼の俳優としての原点でもあった。その源流には当然、喜多村緑郎がいる。そして玉三郎は、鏡花作品をライフワークのように舞台でも演じ続けてきた。
 今年は鏡花の生誕150年にあたる。鏡花作品を演じる玉三郎の舞台や映像を通して、新派というジャンルで連綿と受け継がれてきたに違いない喜多村のおも
かげをも想像してみる。文庫本を手に雑司が谷へ。二人の墓参をするのも一興ではないだろうか。

プロフィール

立教大学江戸川乱歩記念大衆文化研究センター助教。1981年(昭和56年)静岡県生まれ。立教大学大学院文学研究科日本文学専攻博士後期課程修了。博士(文学)。専門は近現代日本演劇・文学・文化。著書に『高安月郊研究――明治期京阪演劇の革新者』(晃洋書房、2018)、編著に『ロスト・イン・パンデミック――失われた演劇と新たな表現の地平』(春陽堂書店、2021)、『小劇場演劇とは何か』(ひつじ書房、2022)など。

世界探訪 食と本と旅と 全4回

「食」・「本」・「旅」この3つのきりくちで、世界を旅してきたマンガ家のエッセイを全4回にわたってお届けします。
各国の食を探求し続けた先に出会ったものは…。そしてそこには必ず「本」が。

第3回「異国で暮らす『どこにでもある、にんげんのものがたり』」食を旅するイラストレーター/マンガ家 織田博子(おだひろこ)

 キャッチーなタイトルを見た瞬間になぜか「これはわたしや、わたしたちの物語だ」と感じた。
 故郷・バングラデシュを離れ日本で戦ってきたジャケルさんの半生は、「どこにでもある、にんげんのものがたり」として、わたしの胸にせまってくる。
 バングラデシュの留学生として憧れの日本を訪れたジャケルさんに試練が訪れる。銭湯で「パンツを脱ぐように」と言われたのだ。
 祖国では、人前はおろか家族の前でも裸になる習慣がない。「私は日本を学びに来たんだ」と決死の覚悟でパンツを脱ぎ、「まるで生まれ変わったような」経験をしたジャケルさん。


 祖国では「生まれた瞬間3kgの米と交換されそうになった」という壮絶な体験をした。一方で、「初恋の人と、落花生をむきながら帰った学校の帰り道」の思い出が鮮やかに描かれる。異国の物語なのになんだか懐かしくて、あまずっぱくて、思わず涙してしまう。


 帯にある言葉は、失恋の時に作ったジャケルさんの詩から引用されている。
 「どこにでもある、にんげんのものがたり」
 この言葉の通り、時代も国も文化も超えて、私はジャケルさんのものがたりに魅了されていった。

 教育によって道を切り開いていく様子は感動的。
 一方で、人種差別によって道が絶たれ、絶望する様子には、胸がつまる思いがする。

 夜の海で故郷の家族を思い、兄弟と慟哭するシーンが美しい。
 「それよりも泣こう。この浜辺なら波の音で誰にも聞こえない」

 わたしが異文化で生きていく決意をした時、異文化で生きる必要に迫られた時。
 きっとジャケルさんが感じた喜びや挫折、絶望を感じるのだと思う。それでも「日本が好きだから、帰化した」というジャケルさんの強さに救われる思いがする。

 

 ジャケルさんは、「遠い外国にいる、かわいそうな(でも私たちとは違う)存在」としてではなく、
 「すぐ隣にいて、日々を生き抜いている、同じ存在」として心に迫ってくる。
 「どこにでもある、にんげんのものがたり」は、国や文化や時代を超えていく。
 これは、わたしのものがたりでもある。

プロフィール
駒込在住。現地の空気感あふれるイラストやマンガが特徴。世界のおばちゃんやおじちゃん、家庭料理を描いています。著作『世界家庭料理の旅』(イースト・プレス)他多数。

図書館通信

図書館通信のトップページに移動します。

お問い合わせ

図書館課サービス基盤グループ

電話番号:03-3983-7861

更新日:2023年10月1日