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大学3年生の夏、私はアメリカ合衆国の中西部サウスダコタ州のマディソンという小さな街のアメリカ人家庭で過ごした。人間の数よりバッファローのほうが多いところで、今から40年も前ということもあり、現地の高齢者の方には何度かネイティブ・アメリカンと間違えられたような街。そんなアメリカの田舎町に夢と希望をもって過酷なアルバイトの末に行ったのだが、最大の目的は何といっても『大草原の小さな家』の舞台、ローラ・インガルスと家族が暮らした大草原を訪れることだった。
小学生の頃、体も気も弱くて学校を休むことが多く(今では信用してもらえないが)家にあった世界童話シリーズを繰り返し読んでいた。中でも『大草原の小さな家』のアメリカ西部開拓時代に荒地を開拓し、家族が協力しながら生き抜いていく生活に憧れ、その世界をひたすら想像した。その時代は子どもが他の国の歴史や文化を知る術は本であり、図書館で本を頼りに調べるしかなかった。ローラが食べた100年以上前の台所でアメリカのお母さんが作るルバーブパイやバニティケーキが載っている本をようやく探し当て、写真や作り方をたよりに想像して「絶対にアメリカに行きたい、食べたい」と願った。
念願叶え、開拓時代を再現したカントリーハウスやブリュースタ学校を巡り、大草原の風を受け大興奮しながら、アメリカの家庭料理を食べて暮らし、これまでに膨らんだ想像と現実の大きな違いを存分に体験することができた。
もし、子ども時代にユーチューブがあって現地の様子を動画で見ていたら、私はアメリカ中西部まで行っただろうか。食べ物が巨大で日本人の好みと比較して大味だと感想を聞いていたら、それでも食べたかっただろうか。なんとなく疑似体験したような気になるインターネットで検索していたら、あれほどの努力はしなかったと思う。
子ども時代は、本の世界にどっぷりつかって、夢や憧れを大きく、大きく膨らませてほしい。想像の世界でたくさん遊んでほしい。本は子どもの心にやりたいことを芽生えさせ、叶える動機や勇気をもたらしてくれると信じている。
プロフィール
1986年玉川大学教育学科卒業、豊島区入区。児童館職員として15年、その後ケースワーカーや窓口職場で11年勤務。2021年区民部長、2022年子ども家庭部長、2024年現職
仙台文学館で行っているエッセイ講座では、昨年度は猛暑続きだったこともあり、〆切に間に合わせるように執筆するのに苦労した、という受講生の声を多く聞いた。
書きあぐんだときにどうするか。以前、ある文芸誌で、「執筆五分前」というテーマで小説家や漫画家などが交替で執筆するコラム欄があった。そこで紹介されていたのは、執筆に使う鉛筆を一ダースほど小刀で削る者、気分を変えたくて仕事場の模様替えをする者、あるいは机の上が前の作業で散らかったままとなっているので、それを片付けて執筆のスペースを確保するところから始める……、など様々だった。
中で、三浦哲郎氏が、何か新しい仕事に取りかかる前には決まって、〈何も書いていない原稿用紙の上で誰か親しい人に手紙か葉書を書く〉と紹介していた。そうすると、いつのまにか固さがほぐれて、素直な自分に帰ることができる、ということだった。それにヒントを得て、受講生たちに、書きあぐんでいるときに、「だ・である調」で書いていた文章を、いったん「です・ます調」に換えてみることを勧めたことがある。そうして最後まで書いたところで、もう一度語尾を検討してみるのである。
さて、中国の北宋の詩人、欧陽脩に、〈余平生所作文章多在三上。乃馬上、枕上、厠上〉なる一文がある。「私がふだん文章を作るところは、馬上、枕上、厠上であることが多い」という意味になる。馬上は今なら乗り物の中だろう、枕上こと寝床、厠上ことトイレもなるほどと思わされる身の覚えがある。
私の場合はそれに、ベランダで包丁を研ぐことが加わる。強いていえば、縁上か。角度と力を一定にして、刃先を砥石に当てなければならないので、心を落ち着かせ平らかにすることが肝心だから、研ぎに集中していると、焦っている心が自然と鎮まってくる。
手をうごかしながら生まれる発想を大切にした名エッセイとしては、幸田文の『台所のおと』や檀一雄の『檀流クッキング』などが浮かぶ。
プロフィール
1959年仙台市生まれ。首都圏で電気工などの職業に就きながら、海燕新人賞を受賞してデビュー。『ア・ルース・ボーイ』で三島由紀夫賞を受賞した後、帰郷して作家活動に専念する。『鉄塔家族』で大佛次郎賞、『ノルゲ』で野間文芸賞などを受賞。ほかに、エッセイ集『からっぽを充たす』『月を見あげて』など著書多数。2020年より仙台文学館館長。
2024年に生誕130周年を迎える江戸川乱歩。その作品は時代を超え多くの表現者を刺激し続け、今や国内のあらゆるものに伝播しています。乱歩からひろがる世界を全4回の連載でご紹介します。
今年2月、博多座で『江戸宵闇妖鉤爪 明智小五郎と人間豹』(3〜18日)が上演されて話題を呼んだ。乱歩歌舞伎の復活——と謳われたこの舞台、2008年11月に当時の九代目松本幸四郎(現・二代目松本白鸚)と七代目市川染五郎(現・十代目松本幸四郎)らによって国立劇場で初演されたものだ(岩豪友樹子脚色、九代琴松〈九代目幸四郎〉演出)。七代目染五郎が長年あたためていた構想で、乱歩の小説「人間豹」を原作に、初めて乱歩作品が歌舞伎になるという触れこみだった。
乱歩作品はたびたび劇化されており、1931年に歌舞伎俳優の二代目市川小太夫が帝国劇場で『黒手組』を上演(小太夫自身が「小納戸容」の筆名で脚色)したのを嚆矢とするが、このときは小太夫以外に新派俳優や女優なども入った合同劇だったから、本格的な歌舞伎としては『江戸宵闇妖鉤爪』が本邦初といってよさそうだ。脚色にあたっては、昭和初期の東京を幕末の江戸に、明智小五郎は隠密廻り同心に置き換えられたが、私立探偵が幕府に仕える下級役人に転じた趣向は、明智を縛る枷にみえないでもなかった。とはいえ、初演時のポスターは池袋の旧江戸川乱歩邸で撮影され、洋装の高麗屋父子によるビジュアルがじつにモダンな印象だったのを覚えている。
同作は評判となり、翌年に続編『京乱噂鉤爪 人間豹の最期』(国立劇場、岩豪友樹子脚本、九代琴松演出)がつくられた。七代目染五郎原案のオリジナル作品で、原作小説の後日談を歌舞伎にしてしまおうという試みだった。さらに2011年には『江戸宵闇妖鉤爪』が大阪松竹座で再演されている。
それきり上演の機会がなかった乱歩歌舞伎に久しく思い焦がれていたのが、八代目市川染五郎。七代目染五郎——すなわち十代目幸四郎の長男である。彼が『江戸宵闇妖鉤爪』の初演を観たのは3歳のころ。父が扮する恩田乱学こと人間豹の宙乗りをする姿が記憶に残っているというから驚かされる。以来、齢を重ねるにつれて、台本や原作小説を繰り返し読み、公演映像を観て、人間豹への憧憬は増すばかり。いつかは自分が人間豹を……という約15年越しの熱情が叶ったのが、冒頭に書いた、博多座における乱歩歌舞伎の復活なのである。大の乱歩ファンでもある当代染五郎が恩田乱学、父幸四郎が明智小五郎を勤めた。近年、新作歌舞伎を数多く執筆している松岡亮が脚本を改訂し、演出を劇団新派文芸部の齋藤雅文が担った(クレジットは九代琴松と連名)。
その博多座の舞台を観た。松岡と齋藤の参加も手伝ってか、初演時に冗長と思われた箇所がすっきり整理され、筋に緩急がついた。何より染五郎が愉しそうに、嬉しそうに躍動していた。原作の人間豹がもつ稚気が、若き染五郎が演じることで際立った。が、まだまだ手を加える余地は多分にありそうだ。染五郎は19歳。今後、彼自身の人間豹が進(深)化し、新たな乱歩歌舞伎が生まれることを願っている。
プロフィール
1981年静岡県生まれ。立教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。専門は近現代日本演劇・文学・文化。著書に『高安月郊研究——明治期京阪演劇の革新者』、『乱歩を探して』、編著に『ロスト・イン・パンデミック——失われた演劇と新たな表現の地平』、『小劇場演劇とは何か』、『石牟礼道子と〈古典〉の水脈——他者の声が響く』(共編)ほか
寄稿者はとしまコミュニティ大学に登録して学んでいる「マナビト生」です。マナビトゼミ担当講師の佐藤壮広氏の監修のもと、毎回テーマに合わせて小説などの文学作品、絵本などの児童書、評論、実用書、エッセイ、科学に関する読み物などさまざまな分野のお薦め本を紹介しています。ぜひ図書館で借りて読んでみてください。
「涼しい」という語は、気温や人の表情や態度にも使われることばである。夏に読む怖い物語には、冷んやりと涼しくする効果がある。我々はそれを経験ずみだ。言葉は温度をもつ。夏には涼、冬には暖のある言葉が求められるのも、人間の想像力あってのことである。
書名『 正欲』朝井 リョウ/著 新潮社 2021年3月
水に性を感じる人々がいる。異性や同性には何も興味がなく、ただ水の有り様だけに性を感じ欲情する。水は命の根源であり、私たちの生死をも左右する。その水に性を感じることも分からなくはない。しかし世間的な常識からすれば彼らは異常であり、「変質者」と見做される。
LGBTQなど性の多様性に対して、社会は認知し許容するようになってきた。しかし声も上げられず生きづらさを抱え、社会の闇に留まっている人々が他にもいる。見えないふりをして片付けて良いだろうか。【 小湊 建侍( こみなと けんじ)】
書名『 100さいの森』松岡 達英/著 講談社 2020年11月
東京の真ん中にある鎮守の森、明治神宮。
100年前に日本中の力を結集して造られた、稀有な人工の森だ。
見栄えのいいスギやマツ。やがて高さを追い越すカシやクスノキ。その落葉や倒木は土の栄養となり、虫やキノコなど、たくさんの生きものを育む。その虫を鳥が食べ、命は循環していく。都市の進化を横目に、森は太古に還っていくのだ。
150年後を見据えて森を造った先人たちの思いに感謝しつつ、神々しく気持ちのよい自然の涼が感じられる絵本です。【 水埜 多喜子 (みずの たきこ)】
書名『 夏の庭 ―The Friends―』湯本 香樹実/著 新潮社 1994年3月
夏休みに小6の好奇心の強い3人組の男の子が、近所の死にそうなおじいさんに興味を持ち、おじいさんが死ぬまでを観察をする物語。20年ぶりに読み返し、「命」の大切さや「死」の意味などを考えさせられた。歳をとることは思い出がたくさんでき、悪いことばかりではないのかも。死ぬことも悲しいだけではなく、失われないものもある。
夏におじいさんの庭に自分たちで植えたコスモス。やがて花が咲き、コスモスからすっとそこに涼しい風が通り抜ける。少年とおじいさんの年齢を超えた友情に感動。【 辻 宏子( つじ ひろこ)】
「八犬伝」というタイトルだけなら、何処かで聞いたことのある方は多いのではないでしょうか。さらに、「犬」の字を苗字に持つ八人の少年=八犬士たちが、南総の里見家に結集し、妖術を使う悪人たちと戦うという筋の、江戸時代を代表する伝ロマン奇小説であることも御存知かも知れません。ところが、現在の豊島区にも、この物語の舞台になった場所があることは余り知られていないと思います。そこで、この一大長編の魅力をさぐって参りましょう。
江戸時代を代表する日本文学の傑作である『南総里見八犬伝』(以下『八犬伝』)は、文化11年から天保13年までの28年間を掛けて出板された一大長編稗史小説です。原本は半紙本(A5判程)サイズの板本で全106冊に及び、岩波文庫では全10冊と、日本古典文学(黄色帯)の中で一番の長編となっています。
江戸時代の文豪と称すべき曲亭馬琴(明和4年〜嘉永元年)は長命であったこともあり、その著作量は他の戯作者をはるかに凌いでいます。しかし残念ながら大部分の著作は、信頼できる絵入りの活字本が出されていません。ただし、昨今はインターネット上で板本(原本)の画像が公開されており、崩し字の読解を習得さえすれば、多くのテキストを読むことができます。
ちなみに『八犬伝』の原本に使用されている崩し字は楷書に近いため読みやすく、漢字には振仮名が付されていますので、崩し字の習得に最適なテキストです。とりわけ容易に入手可能な活字本が備わっていますので、原本と活字本とを対照して読むことで、楽しみながら崩し字に親しめます。とりあえず変体仮名だけでも読めるようになれば、読書範囲が格段に広がります。
さて、馬琴は我国最初の職業作家であると考えられています。19世紀に入ると全国にわたって商品の流通網が整い、商業出板業が確立します。作者は原稿を書くことで潤筆(原稿料)が得られるようになりました。ただし近代の印税とは異なり、作品が売れても売れなくても作者の収入には無関係でした。ですから、職業作家としては書き続けることが必須だったわけです。
また、江戸時代の本は木板印刷(整版) によって摺られていました。版画と同様に、和紙に書いた文字や画を裏返しにして板木に貼り付けて転写し、彫刻刀で印刷しない部分を削り取り、板面に墨を塗った上に和紙を乗せ、バレンで擦って印刷したものです。摺り上がった紙を半分に折り、表紙を付けて糸で四目綴じにしたものが板本と呼ばれる和装本です。これらの各工程は専門の職人たちが担う分業制に拠るものでした。
つまり、出板を企画し、作者に原稿を依頼し、挿絵を描くに相応しい浮世絵師を選び、さらには筆耕(本文の清書)、彫工(彫り師)、板摺り(摺り師)など、本作りの諸工程を担う職人たちをプロデュースしたのが板元(出版社)でした。ただし、江戸小説は基本的に絵入り本でしたので、作者は本文だけではなく、口絵や挿絵の下絵を描いたのみならず、見返しの意匠に至るまで細かい指示をしています。
美麗な意匠の表紙を持ち和紙に墨で摺られた和装本は、職人の手になる美術工芸品ともいうべき愛玩すべき本です。江戸時代の小説は、単に文字列だけが読めれば良いわけではなく、やはり原本で読まなければ味わえないことが多々あるのです。
プロフィール
千葉大学名誉教授。博士(文学)。法政大学国際日本学研究所客員研究員。幕末から明治初期を連続してとらえる視点で、日本十九世紀小説史を研究している。
大河ドラマでも話題の『源氏物語』。学校で、テレビで、そして図書館で、あなたもきっと触れたことがあるはず。全4回の連載で、当時の仏教思想から登場
人物の心情を読み解いていきます。
今回は、その1「紫式部の道心とたゆたい」を踏まえて、光源氏の道心とたゆたいについて考えてみたいと思います。前号で紹介しましたように、紫式部は日記で「世のいとはしきことは、すべてつゆばかり心もとまらずなりにてはべれば、聖にならむに、懈怠すべうもはべらず。」と出家の決意と不退の仏道修行の思いを強い語勢で吐露しています。しかし、一方では臨終の一念に対する不安(人間の極限における心の頼みがたさ)も述べ、出家をためらっています。そしてその思いは前世の「罪深さの自覚」へと向かい、極楽往生は叶わないのではないかとの結論に至り、最終的には悲しさだけが残る、と記しています。
さて、光源氏の道心とたゆたいですが、御法の巻に、紫の上の葬儀を終えた源氏が出家を決意するくだりがあります。
今は、この世にうしろめたきこと残らずなりぬ、ひたみちに行ひにおもむきなんに障りどころあるまじきを、いとかくをさめん方なき心まどひにては、願はん 道にも入りがたくや、とややましきを、…
このくだりは、服喪中の源氏の心境を記した段となっています。末尾の「ややましきを」は「思い悩まれるので」の意。それを踏まえて全体を通読すると、このくだりが『日記』の心理変化(その1を参照)と酷似していることが理解できます。具体的には「この世に未練が無いこと」「不退の仏道修行」「不安と動揺」と言う点で共通します。記している言葉も重なります。恐らくは、式部の思念が反映しているものと推測されます。ところが、光源氏の道心の表現は次のように続きます。
「この思ひすこしなのめに、忘れさせたまへ」と、阿弥陀仏を念じたてまつりたまふ。
「この思ひ」とは、「悲しみ・不安・動揺」などでありましょう。源氏はそれを忘れさせて欲しいと阿弥陀仏に念じているのです。一方『日記』は、阿弥陀仏は登場するものの、念仏ではなく、法華経を学ぶ師としての阿弥陀仏です。ここに相違が見いだされます。これは何を意味するのでしょうか。これを考える前に、次のような源信僧都(宇治十帖に登場する横川の僧都のモデル)の法語を紹介します。
妄念はもとより凡夫の地体なり。妄念の外に別の心もなきなり。(中略)妄念のうちより申しいだしたる念仏は、濁にしまぬ蓮のごとくにして、決定往生うたがひ有べからず。
妄念をいとはずして信心のあさきをなげきて、こころざしを深くして常に名号を唱ふべし。 (「横川法語」)
ここには妄念の念仏を勧めて止むことのない源信の情熱的な教えがあります。そうしますと、光源氏は教えの通り妄念の念仏を素直に唱え、式部は念仏せず、悲しみに沈潜していくことになります。前号にも記しましたように、式部は法華経の深い信解による往生を考えていたのかもしれません。光源氏は阿弥陀信仰、紫式部は法華信仰と言えそうです。これは厳しい信仰のみちのりを式部が選択したとも言えましょう。
プロフィール
大正大学名誉教授、元文学部長。元仏教文学会代表委員。博士(文学)、専門分野は中古・中世文学と仏教思想の関係。特に源氏物語・宝物集・西行などを研究している。大正大学オープンカレッジ、朝日カルチャーセンター横浜、茨城県弘道館アカデミー県民大学などの講師をつとめる。
世界を旅してきた筆者ならではの旅のエピソード満載!
本を片手に文化の違いを楽しむ連載エッセイです。
第二回目にしてびろうな話ですみません。旅のあるあるネタで一番ウケるのはトイレネタなので…。
オランダ・アムステルダムの川沿いの美しい道に向かって歩いていると、目の前に電話ボックスのようなものがあり、背の高いおじちゃんがニコニコ手を私に振っていた。笑顔で手を振りかえして、通り過ぎて少ししてから気づいた。あれ、電話ボックスじゃなくて公衆トイレだ。おじちゃんは小を足しながら笑顔で手を振っていたのだった。一歩間違えれば痴漢だ。
中国・北京の公衆トイレには個室がない。和式トイレがずらりと並ぶ。ニーハオトイレだ。勇気を出して用を足す私の隣で、おばちゃん二人が話しながら入ってきて、用を足しながらも話し続け、出ていった。話題が途切れないトイレ。
ロシアのシベリア鉄道のトイレは、駅の発着前後1時間は使用できず、カギがかかっている。いざトイレに入り、便器の中を覗くと線路が見える。昔の日本の
電車がそうだったように…。夏はおしりに風を感じる。
インドのトイレにはトイレットペーパーがなく、水道と手桶があった。気がきくところだとシャワーが。これを使って左手で洗浄。「汚い!」とインド人に言ったら「紙で拭くと汚れが残ってそうで汚い!」と反論された。水の方が洗った感があるのだとか。
「あらゆる文化にそれぞれの清潔さがあり、(中略)自分たちのやりかたが恥ずかしくない身だしなみの王道だと信じていたのだ」(『図説 不潔の歴史』)
(トイレの話題が好きな人なら、この本は笑いながら読める楽しい書だと思う)
「あの国のトイレは汚い」と言う時、私たちは自分の常識をその国に当てはめて「汚い」と思っている。だから、その国の人の常識からすれば、私たちの国も「汚い」かもしれない。そうやって自分の常識が相対化されてゆらぐ経験が、私は面白いなと思う。
プロフィール
駒込在住。現地の空気感あふれるイラストやマンガが特徴。世界のおばちゃんやおじちゃん、家庭料理を描いています。著作『世界のおじちゃん画集』(しろいぶた書房)、『世界家庭料理の旅 おかわり』(イースト・プレス)など多数。
この本との出会いは、私が中学生の頃でした。今は閉館した雑司が谷図書館で、鮮やかな赤と緑の装丁に惹かれて手を伸ばしました。その瞬間、この本は私にとってかけがえのない宝物となりました。見た目は普通の真面目な学生だった私ですが、内面には小さな反抗心を抱え、本ばかり読んでいた反動か、どこか大人びた一面を持っていました。後に当時の同級生に聞いたところによると、「宇宙人」というあだ名がついていたとか。確かに村上作品に心酔する女子中学生は異質な存在だったのかもしれません。そんな私にとって、村上春樹の作品が持つ「分からない」という魅力は、未知への好奇心を刺激しました。未熟ながらも何かを求めていた私の心を強く掴んだのです。
出会いの強い印象もさることながら、この本が私にとって特別なのは、人生の多くの瞬間でどの本よりも繰り返し読んでいるという点です。20歳、30歳、40歳という節目の年や人生のステージが変わる時などタイミングは様々です。そして不思議なことに、同じ本を読んでいるはずなのに人生経験と共に感じ方が変わり、以前には理解できなかった登場人物たちの言葉や行動が私の心にすっと入ってくるのです。長年の疑問や違和感が腑に落ちる瞬間です。特に、「生と死は対極ではない。生の延長線上に死がある。」という深いメッセージは、年齢を重ねるごとにその真価を知ることになりました。
未来に向けて、この本との旅はまだまだ続きます。50歳、60歳、70歳と年を重ねるごとに、私はこの本から新たな教訓を得たり、深く共感したり、反発を感じたりするのでしょう。この本を通じて、過去の自分を振り返り、現在の自分を省み、未来の自分に思いを馳せる。それは、私にとってこの本が単なる物語以上のもの、人生の旅路そのものであることを示しています。「生涯の一冊」は、かけがえのない人生のパートナーになってくれます。それはとても幸せな経験です。そんな読書の魅力を少しでも多くの人に知ってもらいたいと思っています。
プロフィール
豊島区生まれ、豊島区育ち。現在は南大塚で行政書士事務所を開業し「街の法律家」として地域活動にも参加
私がこの本に出会ったのは、渋谷にある「森の図書室」というブックカフェでした。読書にはまっていた友人に連れられ訪れたそのカフェには、有名な小説からエッセイなどジャンル問わず多くの書籍が壁一面に並んでいました。活字に苦手意識があった私は、その雰囲気に圧倒され、悩んだ末に「絵本なら気楽に読めるだろう」という安易な理由で手に取ったのが、この『おくりものはナンニモナイ』でした。
かわいい動物の絵、キャッチーなタイトル、そして昔読んだ教科書に詩が掲載されていた谷川俊太郎さんが訳されていたことも手に取ったきっかけでした。
「なんでももってる ともだちを よろこばせるものって なんだ?」(パトリック・マクドネル『おくりものはナンニモナイ』あすなろ書房 2005年 11頁)
ねこのムーチがともだちへの贈り物を一生懸命考えるお話です。この一文を読んで「絵本ってこんな深いことが書いてあるの?」と驚いたことをよく覚えています。文字数だけ見れば一瞬で読み終わる量ですが、その詩的な一言一言にいろいろな気持ちや可能性が含まれているように思えて、普段使わない部分の脳を刺激されるわくわく感がありました。
「自分だったらどうするかな?」と考えながら絵本を読み進めていくと「その発想はなかったな!」と驚くことが多々あります。そういう時、子どもの頃は雨が降ったら空が泣いているように感じたり、追い風が吹けば自分の背中を押してもらったように思えたりと、何事にも自由で柔軟な発想をしていたなぁと思い出してはっとします。でも絵本の著者の多くは大人の方なので、そこもまた何だか面白いなと感じる部分でもあります。
大人になるにつれて、忙しない日々に心が荒んでしまうことが増えました。そんな時「大人はこうあるべき」といった固定概念から「私らしく生きていっていいんだ」という勇気を絵本から与えられるような気がします。読後の胸がぽかぽかする感覚が忘れられず、その後購入し、ふとした時に読み直しています。
『おくりものはナンニモナイ』は私に絵本の魅力を教えてくれた大切な一冊です。
ムーチは何を贈り物に選んだのか、子どもだけでなく大人の方にも実際に読んで楽しんでいただけたら嬉しいです。
プロフィール
JIMO-TOshima ライターとして活動中。豊島区防犯アイドルに取材するなど、区の魅力を住民目線で記事にしてイケサークルに掲載している。
JIMO-TOshimaとは
街の中にある面白いものやお勧めしたい場所、新しいアクションを豊島区内で生活を営むライターさんの目線を通じて紹介します。
ライターさんならではの感性で豊島区の魅力を発見していただき、国内外にそれを紹介、発信していくことを目的にしています。
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電話番号:03-3983-7861