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旧江戸川乱歩邸土蔵

旧江戸川乱歩邸土蔵の外観の写真

<豊島区指定有形文化財>

日本の探偵小説の草分けである江戸川乱歩(本名:平井太郎、1894~1965年)が、46回目の引越しで池袋3丁目(現西池袋5-15、立教大学に隣接)に移り住んだのは昭和9年(1934)のことである。敷地内には大正10年(1921)築の主屋と大正13年(1924)築の土蔵があった。

主屋は昭和32年(1957)年に、乱歩により設計された洋館と、現在「立教大学大衆文化研究センター」となっている部分が増築され、また昭和51年(1976)にも改築されるなど、建築当初から大きく姿を変えているが、土蔵はおおむね建築当初の状態を残していた。乱歩はこの土蔵が大変気に入って、昭和40年(1965)71歳で死去するまでの31年間、土蔵を書斎兼書庫として愛用し、ここから『怪人二十面相』・『少年探偵団』シリーズなど数多くの名作が生まれた。

土蔵は主屋の西端に建ち、出入口を東面に向け、下屋を巡らせて廊下で主屋とつながっていたが、平成15年(2003)の保存修理工事に伴って主屋と分離され、下屋は取り払われた。規模は桁行が2間、梁行2.5間の木造土蔵造り2階建てで、延床面積は15坪(約50平方メートル)である。

建築上の特徴としては、外壁は在来の漆喰土壁工法ではなく、木造軸組に木摺下地・ラス金網張り砂漆喰のうえ、漆喰薄塗磨き仕上げとなっている。表面は修理前には白色の塗装が施されていたが、当初は鼠漆喰磨き仕上げであったことが判明したため復元された。外壁の色が鼠色である事例は少なく、貴重である。

内部の構造材は松と杉で、小屋組は在来の和小屋の工法ではなく、耐震性の高いキングポスト・トラス(真束小屋)を採用し、接合部には補強金物を付加するなど新たな工法を用いている。本土蔵が関東大震災の翌年に建設されたことから、外壁のラス金網張りの採用とともに、耐震対策を意識した工法として注目される。

内部空間は、中央部に造り付けの上がり階段が配されており、その架構形式は簡素でありながら、踏み板と手すりの柱に檜を用いるなど化粧階段として意匠効果が高い。土蔵の一階には、乱歩が好んだイギリス・ルネサンス様式の書棚がコの字型に配され、創作活動の源泉となった近世文学から海外ミステリーにいたる数万冊の蔵書が保存され、また二階には、乱歩が設計した特注の引出式木箱棚が設置され、乱歩の緻密な蔵書整理の一端を垣間見ることができる。

旧江戸川乱歩邸土蔵は、関東大震災後に宅地化が急速に進行した山の手地域における住宅土蔵の事例として建築史的に貴重であるとともに、第二次世界大戦下の空襲により焼け野原となった池袋地区において、大正期の土蔵が当時の姿で残っている例はなく、豊島区における貴重な文化財であるといえる。

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庶務課文化財グループ

電話番号:03-3981-1190

更新日:2022年10月25日