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雑司ヶ谷鬼子母神堂

雑司が谷鬼子母神堂

<国指定重要文化財>

雑司ヶ谷鬼子母神堂は池袋駅の南方約一キロメートルの地にあって、日蓮宗法明寺に属している。南の参道には樫並木があり、鬼子母神堂は平坦な境内の北寄りにほぼ南東を正面として建つ。

鬼子母神堂は永禄4年(1561)に鬼子母神像が出現したことに始まる。天正6年(1578)、鬼子母神像が雑司ヶ谷の村人によって建てられた草堂に安置され、寛永2年(1625)には社殿の造営があり、正保3年(1646)には宮殿が寄進された。

鬼子母神像が託された法明寺塔頭の東陽坊は後に大行院となり、江戸時代を通じて鬼子母神堂は大行院が別当として管理した。鬼子母神堂には江戸時代前期より将軍の御成があり、鬼子母神の信仰は江戸時代を通じて武家から庶民に至るまで幅広く浸透し、大いに盛況を呈した。

拝殿・相の間は金物刻銘などから元禄13年(1700)の建築と判明する。後世の主な修理では、本殿は享保4年(1719)と延享2年(1745)に檜皮屋根が葺替えられたことが知られ、明治17年(1884)に相の間とともに銅板葺に改められた。一方、拝殿がとち葺から桟瓦葺に改められたのは寛政年間(1789~1801)と考えられる。

昭和35年(1960)2月13日付で東京都有形文化財に指定され、昭和54年(1979)に半解体修理が完了した。この際、拝殿は桟瓦の鍛葺から銅板の平葺(とち葺型)へ変更し、全体が銅板葺屋根となって、現在に至っている。

 

(雑司が谷鬼子母神堂では、「鬼」の字を一画目がない字を用いています。)

お問い合わせ

庶務課文化財グループ

電話番号:03-3981-1190

更新日:2022年10月25日